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リストラ離婚 中高年リーマンの半生

改めて自己紹介 その2 ー リストラ離婚 中高年リーマン

 

 

4000万円を即金で支払いました><

中高年 リストラ離婚 - 養育費等で4,000万円一括で支払った

 
 
 

本当に一括で4000万円支払いました。

まず4000万円を、離婚の際に一括で支払ったと言ったら、「馬鹿じゃない」と言われますが事実です。たぶん、弁護士を立てて話し合いをしたら、4000万円どころか、月10万円の養育費にもならなかったと、言われたことがあります。私も、法テラスのような無料の弁護士相談に行った際にいわれたアドバイスです。

 

じゃ、4000万円支払ったことに後悔しているかと言えば、別に後悔していません。しかし、その際の取り決めである「子供と好きな時に面会できる」という約束を反故にされたことは、未だに納得しておりません。誰が何と言おうと、この点に関しては、元嫁に非があると感じています。破格の4000万円の養育費と慰謝料を払わせておいて、子供との面会をさせないとは、理解に苦しみます。少なくとも、離婚合意書に書かれていることを破ることは法律絵的にも人道的にも非難されるべきです。正直、法的手段を考えましたが、日本の法律の不備や子供たちのことを考え、私の方が折れました。
この事実だけでも、離婚したことは正解であったと感じていますし、元妻の私に対する離婚後の仕打ちは、納得できるものでなかったと認識をしております。ただ、もう元妻とは他人なので、その辺は割り切っています。他人である元嫁を非難するのは時間の無駄であり、子供たちの幸せを考えることが何倍、何十倍、いや何千倍も重要であると思っています。

 

なぜ4000万円も支払ったのか?

一言で言えば、別れた子供たち二人のためです。

離婚して一番迷惑をかけるのは、子供達です。特に経済的理由で困窮することになると、ちゃんとした教育を受けさせてあげることもできません。私が、直接会って愛情を注げない罪滅ぼしとして、せめて十分な経済的支援はしたかったのです。子供には何の罪もありませんから。

一括してこれだけのお金を払っておけば、私立中学、高校に行くことも経済的に十分可能なので、私もかなり無理をしました。実際に、二人の子供に、私立中学校、高校に入れて、教育を受けさせてくれた元妻には心から感謝しています。長男は、家内と私の母校の同じ学部に、現役で合格し、楽しい大学生活を送っていると聞いています。本当に良かったです。私が子供に残せる一番の財産と言えば、教育しかないと思っています。なので、元嫁の教育方針に心から感謝しています。そして、長男も次男も非常に頑張って、それなりの学校に入学してくれたことを誇りに思っています。
今まで会えていないと言え、血のつながった我が子が立派に成長にしてくれることは、心から嬉しいです。大したオヤジではないけれども、今後息子達が、私なんかを余裕で越えて、立派な社会人となってくれることを心から願っております。このように、長男と次男という宝物を得て、私の子孫として繁栄していってくれるだけでも、元妻と結婚した介があったと心から思っております。

もちろん嫁にも迷惑をかけたと反省したためです。

アメリカという慣れない土地で、かつ業績を出さないといけにプレッシャーに晒されたため、妻には非常に迷惑をかけたことは認識しました。

 
 

そのため、妻にはかなりのサポートをしていただいていました。その割に、妻や子供たちにプレッシャーのため優しくできなかったとの後悔が沢山ありました。私は、自分の実力以上に背伸びをして、アカデミア(大学関係)で心身を削りながら仕事をしていたので、企業への転職を考え実行しました。企業に就職したことにより、事業所閉鎖によるリストラで、割増退職金でかなりのお金が私の懐に入ってきました。

罪滅ぼしのため、そのお金は全額、前妻に渡しました。それ以外にもかなりのお金を払うことにしました。結局、合計4000万円も支払いました。正直、破格の金額です。そのため、完全に私は一文無しになりました。
「子供達と私の一生分の面倒をみて欲しい。」というようなことを言われたこともあり、その当時で、私ができうる最大限の金額を払いました。

 

40歳で無一文

4000万円も調子に乗って支払ったため、実の親からかなりの借金をしました。結局返せなかった(額が大きすぎた)ですが、私は一人子だったので、兄弟から非難されるということはありませんでした。その代わり、本当に無一文になりました。しかし、全く絶望はしていませんでした。また、ゼロから始めたら良いと思っていました。

ただ、お金のなかったのはきつかったですね。幸い、大手内資系企業に就職ができ、給料も上がったので、問題なく生活していくことができました。離婚したことで、会社の独身寮に入ることができ、生活費を抑えることができたので、徐々に貯金をすることができたのは、有難かったです。

亡くなった私の父から言われていたことは、

父

嫁さんが別れたいと言ったら、男らしく分かれてやれ!

そして、その時持っているお金を全額くれてやればいい。

父

そこまでしたら、十分だ!あとはお前の好きに生きればいいんだ!

父

なので、結婚はあんまり得じゃない。一生独身というの悪くない選択肢だ。

私の親父は、昭和の考え方と、結婚無用論の進歩的な考え方をする不思議な人物でした。

離婚時に、すべてのお金を別れる妻に払うという英断(?)をしたので、私の親父も草葉の陰で喜んでくれているのではと思っています。

 

それでも再婚できた

無一文になったらある意味、怖いものがなくなりました。今が底辺なので、後は上がるのみだとの前向きな気持ちになりました。それにしても、スッカラカンになったにも関わらず、再婚をしようとする自分自身には少しあきれ返りました。逆に、無くすものが何もないので、再婚相手を見つけようと思ったのです。財産を持ったお金持ちは、やはり結婚するときには、愛情ではなくて、お金目当てではないかという心配があるのは、想像に難くないです。でも、私の場合は、全くお金がないので、その心配がありませんでした。何の自慢にもなりませんが、その点の懸念はないことが、前向きに再婚を考えられた一因でもあります。

 

逆に、無一文だと、再婚に関しては、貯金がないことは言いませんでした。いや、正直言えないですね。婚活をしていて、私の貯金額を聞くような女性はいませんでしたが、、、。年収はもちろん、プロフィールに書いていたので、それで判断してくれたようです。あと、必ずお会いした時には、勤めている会社の名刺を渡すようにしました。誰もが知っている国内大手企業だったので、私の貯金額に関して聞かなくても、それなりの額は貯金していると想像したのかもしれません。

 
婚活のしている女性の皆さん!

結婚しようとしている男性の貯金額は絶対に把握していた方がいいですよ!

それなりの年収があるのに貯金が少なければ、何らかの理由があるはずです。そこから、ギャンブル好きとか新興宗教にはまっているとか、色々な情報を得ることができますので。

 

私は離婚して、4000万円もの慰謝料と養育費を払った言っていました(事実だから)。なので、逆に再婚相手からは、この人と離婚することになっても、ちゃんと慰謝料と養育費は破格に払ってくれると思われたのかもしれません。このように無一文の状況が、再婚において大きな強みになったのかもしれません。

正に、「禍福はあざなえる縄の如し」です。

禍福はあざなえる縄の如し

禍福は糾える縄の如し(かふくはあざなえるなわのごとし」とは、人生をより合わさった縄にたとえて、幸福と不幸は変転するものだという意味の故事成語です。

不幸を嘆いていると、いつの間にか幸福となり、幸福を喜んでいると、また不幸になる、ちょうどそれは「より合わせた縄のように表裏が交互にやってくる」ということを表しています。

出典:TRANS.Biz

 

神様は見てくれている(リストラ離婚されても)

40歳の時に無一文になっても、何とか生きていけていますし、世間的に見ても貧乏な部類には入っていません。もちろん金持ちの部類には逆立ちしても入れませんが、それなりに生活できて、再婚もできたので本当に幸せです。

今、元妻に対しては、長男や次男を良く育ててくれたとへの感謝の気持ちしかありません。

離婚直後は、腹も立ったりしていましたが、その後は何も感じなくなりました。というか感じないようにしました。元嫁に対して、怒ったり、憎んだりしていることは、愛情の裏返しです。自分自身が元嫁に対して、愛情を感じなくなったら、怒ったり、憎んだりしなくなります。他人なので、どうでもいい存在なのです。私はそれを強く意識しました。元嫁に対して、ニュートラルな状況を保つようにしたら、怒りや憎しみは全く消え、感謝できるようになりました。

綺麗ごとではなく、本当にそうなりました。元妻は他人なので、他人期待しても仕方ありません。私の子供を彼女なりに精一杯育ててくれるだけで、十分ではないでしょうか?離婚合意書に反して、子供たちに面会できないことに関しては、思うところがあります。ただ意固地になって、無理に私と子供たちが面会しても、元妻の態度がああだといい影響を及ぼさないと思い、受け入れました。


元妻は実質上再婚しているのですが(籍は入れていない)、それに関して、本当に祝福できるかどうかが、離婚するときには一番重要なことになります。それに関してはまた、別の記事で詳細に書かせていただきます。

 

私は離婚して、幸せになりました。元妻も私と離婚して幸せになっていると思っています。結局、神様は離婚したとしても、元旦那と元妻が、それぞれ必死に幸せを求めて生きていたら、幸せをもたらしてくれるということが、今回の経験から良く理解でしました。世の中、捨てたもんじゃないです!

 

その後、離婚から立ち直りました。

 

中高年 リストラ離婚 - リストラ離婚から立ち直る方法

 

中高年で離婚すると、精神的に落ち込んで鬱になることがあります。私の場合は、リストラで職を失った時に、離婚を告げられたので、なおさらでした。しかし、気持ちの持ちようで、大きなダメージを受けずに立ち直ることも十分に可能です。私が、どのように精神的にも離婚から立ち直ったかを、経験に基づいてお話したいと思います。

 

すべての人が、私が実践した方法で精神的にも離婚から立ち直るかと言えば、そんなことは全くないでしょう。千差万別、自分に合った方法を試すのが一番だと思います。しかし、自分で立ち直って見せるという気概を持たなければ、絶対に精神的にも離婚から立ち直ることはできません。他人は助けてくれないのです。あなた自身がしっかりと立ち上がらなければ何も解決しません。

他人事のように思う

私が、リストラ失職と離婚を同時に言い渡された時は、現実のこととは思えませんでした。どこか、そんなことが現実に私に降りかかるはずがないと思っていました。そして、その思いを利用して、他人事のように考えることに敢えてしました。自分のこととしてとらえれば、「ちゃんと生きてきたのに、なんで俺だけにこんなことが起こるんだ!あり得ない!」と怒り狂っていたかもしれません。

しかし、こんなことは私に起こるはずがないと心のどこかで思っていたため、悪い冗談のように感じていました。

「リストラで失職して、一番奥さんに助けてもらわないといけない時に、奥さんから離婚を言い渡される?」

「ちょっと、ドラマとしても、あまりにもありきたりすぎてあり得なくないか?」

「ドラマでももっと現実っぱく作らないと、いかにも創作しています感がぬぐえないぞ。」

と漠然と思ったりしていました。しかし、

「リストラされて奥さんに助けを求めたら、逆に離婚の要求を受けて返り討ちにあうとは、マヌケもいいところだな。」

「今までの結婚生活で、よっぽど奥さんから嫌われていたのかな?」

と推察したりしていました。他人事だと、結構、冷静にかつ客観的に判断できます。

とすると、

「離婚を引き留めても、難しいかな。この場合だと、離婚は受け入れて、ちゃんとした就職先を見つけるのが一番得策な方法だな。」

「その時、めちゃくちゃ破格の慰謝料と養育費を払えばカッコいいじゃん。ドラマとしては、良い人になるよね。」
という風に考えて、テレビドラマと考えれば、どのように振舞うのが、物語的にも面白く、このダメな旦那の面目が立つかを考えていました。すると、

「良いところに就職して、素敵な女性と再婚すれば、全然いいんじゃない。全く、ダメな旦那じゃなくなるじゃん。」

「逆に、ウジウジして、「ひどいよ。ひどいよ。」と泣き言を嫁さんや世間に言っていたら、目も当てられない旦那やな。仕事も嫁も無くして当然やと思うな。」

と本能的にも感じました。

じゃ、やることは早いですよね。さっさと離婚して、できるだけの養育費と慰謝料を上げて、良い会社に再就職して、素敵な人と再婚する。これで決まりだと思い、そのように行動しました。

自分自身のことだと思っていたら、そんなに早く冷静な判断も素早い行動も絶対に取れなかったと思います。しかし、あまりにもショックで現実離れするほど悲惨だったので、自分のことだとは受け入れませんでした。マジで他人のことのように感じ、冷静に一番ベストな判断に基づいた行動ができたと思っています。

 

世間は自分のことなんか気にしていない

もちろん、他人事のように思っていても、実際には自分自身に降りかかったことなので、その事実は変えることができません。ただ、そのことで、周りにどう思われるとか、かっこ悪いとかは、極力考えないようにしました。

所詮世間は、私自身のことなんて気にもしていません。大した存在でもないのです。逆に、私にとっても世間なんか大した存在ではありません。何をしてくれるわけではないので。

そう考えると、世間体を考えたり、離婚を隠したり、つくろったりすることが馬鹿らしくなりました。世間は、他人の不幸が大好物です。「リストラと同時に離婚され、違約退職金も全部慰謝料と養育費に消え、親にまで借金した情けない奴」は、世間から全く嫉まれずに、「あほやな~~~」と愛すべき馬鹿な奴と、結構温かい対応を受けたりしました。

高校時代の同級生からは、「そこまであけすけに語って、前向きに生きているお前はすごい。逆に尊敬するわ。」と言われる始末です。

このように、世間に対して戦々恐々とせずに、真っ向から正直に向かっていくと、思いのほか居心地が良かったりしました。

 

人生は所詮なるようにしかならない

私は、正直開き直るしかありませんでした。まさに、人生は所詮なるようにしかならないのです。あがいても現状が良くならないなら、あがかずじっとしておいた方がいいのです。じっとしていても何も変わらないので、現状を良くするための行動をするのが一番です。その行動によって、更なるドツボにはまったとしてもそれはそれです。良い経験になったと笑い飛ばせば、それでおしまいです。命まではとられません。

「人生は、悪い冗談の連続である。」という結構ネガティブなことわざが、私は好きだったりします。なので、上手く行かない時は、お祓いでもしてもらって、心機一転自分が信じることを、迷わずにやれば良いと思います。

順番に

1)事業所閉鎖に伴う失職による転職活動

2)離婚の手続き(子供の親権、養育費等の諸々の取り決めを含む)

3)転職が成功し、離婚した後の再婚のための婚活

を淡々と進めました。色々と思ったり、落ち込んだりすることはありましたが、それで立ち止まるのは違うので、仕事と割り切っって進めていました。後から振りかえれば、立ち止まらずに、このように迅速に動いたことが、幸せを運んでくる結果に繋がりました。

 

リストラ離婚から本当に立ち直るのは再婚しかない

離婚して家族がなくなって一人で暮らすのは、やはり寂しいものです。特に私には、その当時二人の小学校低学年と保育園の子供がいたので、急にぽつんと一人きりになったと心理的に感じざる負えませんでした。

賑やかな家庭から切り離されて、孤独感を感じると、やはりそばに人がいて欲しいとどうしても思ってしまいます。もう離婚に懲りて、一生一人で暮らしていく方が気楽なのは確かです。

再婚をしようとなぜ決意したか?

1) このまま一人でいると、どうしても前の家族のことにこだわってしまい、離婚の痛手から立ち直れない。

2) 失恋の痛手から立ち上がるためには、結局新しい恋をすることであると同様に、離婚の痛手から立ち上がるには、やはり再婚しかないと感じたこと。

3) 私は一人っ子だったので、兄弟はいないので、このまま一人で暮らしていくと、孤独死するという恐怖があったこと。

4) 実は、再婚は無理なのではないかと考えていたので、1年間だけ必死に婚活して、ダメだったら、1人で生きていくという選択肢を真剣に考えないといけないと感じていたため。

結局、再婚のための婚活をしてみると、楽しかったです。やはり、再婚と言っても、恋愛をして、好きな女性と結婚するということにおいては、初婚と全く変わりありません。下記の記事にあるように色々な女性とお会いすることは、今考えると本当に楽しかったです。世の中には、色々な方がいらっしゃるんだなと認識しました。

ただ、婚活中は、良い相手を見つけようとある意味必死だったので、それほど楽しめていなかったかもしれません。直接お会いして色々とお話してみて、やっぱり自分とは合わないと感じると、落ち込んだりしました。例え再婚に繋がらなくとも、その出会いを大切にして楽しむということは全くできていなかったと思います。当たり前ですが、結婚相手として相応しいか?何か懸念点はないか?という観点からじっくり観察していました。もちろん、相手もその観点から観察していたと思います。ある意味いびつな感じの出会いです。

初婚の時は、同じ研究室の先輩と後輩だったので、自然な感じで付き合いが始まり、結婚に至ったので、結婚相手としてもゴールを設定して、付き合い始めたわけではなかったのです。


自然な流れでの結婚に失敗したので、再婚の時は、結婚をゴールに見据えた婚活が相応しいのではと思い、必死で頑張りました。

 

なんと、再婚のための婚活をしていると、離婚の痛手も薄らいでいきました。良い再婚相手を探すのに時間の大半を使っていたので、離婚したことをウジウジと考えている暇がなかったのです。それと、新しい恋の出会いにワクワクしていたのも事実です。

人間は都合の良い生き物です。次に、または、新しい人に、大きな期待を寄せてしまうものです。だから前に進んでいける、希望を持っていけるのかもしれません。

 

私の場合は、再婚のための婚活を本活的に始めた時点で、離婚からの痛手から立ち直ることができました。最終的に、再婚に繋がったので、やはり婚活だけでなく、再婚という結果を残さないと、離婚の痛手から立ち上がれないのが事実かもしれません。

皆さんも、離婚の痛手から立ち上がるためにも、新しい恋を見つけられることをお勧めします。もういい年だからとは思わないで、中高年限定のマッチングアプリ等を駆使して、新しい恋に、是非踏み出してください。

 

 

転職活動を成功させて大手内資メーカーに転職。転職活動を成功させた経緯は、

40歳 リストラ転職 ― とうとう成功! 

やっと漕ぎつけた面接での不合格を受けて、意気消沈していた私がいました。しかし、中高年が転職活動で足踏みしているのは致命的な結果をもたらします。兎に角、なりふり構わずに、転職活動をする必要があります。

今までのように必死に転職活動することに加えて、ありとあらゆる知り合いを通じて、転職活動を成功させようとしました。恥ずかしいなんて言っている余裕はありませんでした。そして、この知り合い作戦によって、とうとう成功を掴むことになりました!

強い味方現れる!

30社以上も応募書類を出し続けて一向に「面接にきてください」との返事が5か月間も、もらえないという苦しい時期を過ごすことになりました。そして、面接に呼ばれた会社でも、私の致命的なミスにより、内定を逃すことになりました。その時の経緯は下記にあります。

 

知り合いによる推薦が転職における秘訣であることを心に刻み込んで、恥を忍んで色々な方にアプローチしていました。その中で一番の決め手となったのが、妻(その当時)の会社の上司でした。その上司がヘッドハンティングで、私が第一希望をしている大手内資企業に部長として転職されたのです。今の会社に入社する前に、その大手内資企業に応募をしていましたが、書類選考で落とされていました。

離婚を言いわたされたものの、家内は私のために、その上司に話をつけてくれていました。なんと個人的に喫茶店で会うことをセットアップしてくれました。会う前に、私の履歴書職務経歴書は渡していただいていました。もちろん、そんなことが可能だったのは、妻がとても優秀で社内でも業績を上げていて、ヘッドハンティングされた上司にも一目置かれていたからです。
本当に有難いことです。妻には心から感謝しましたそういう意味では、当時の妻も私を憎んで別れたのではなく、別れる選択肢しかなかったのが事実なのかもしれません。

 

茶店で、妻を含めて1時間ほど雑談させていただきました。その際に、8か月前に応募して不採用になったことも包み隠さず話しました。すると、その上司は、

妻の元上司
妻の元上司

もう一度応募したらどうですか?最近体制が変わってきたから可能性はあると思いますよ。

妻の元上司
妻の元上司

私から働きかけとかは、私自身が入社したばかりだから、できませんが、あなたの経歴と業績なら、きっと目に留まるんじゃないかと思います。

と言ってくださいました。

後から妻に聞くと、私の人柄を判断していたそうで、問題なかったから、応募を進めてきてくれたとのことです。

「私の経歴と業績なら大学関係ならそれなりのポジジョンに着けるのに、なぜ敢えて企業に行くのだろう。

大学関係でもやっていけない変な性格の人で、人柄的に問題があるのではないか?

と思っていたそうです。それが、妻のおかげで誤解が解け、その部長(妻の元上司)と直接1時間もざっくばらんにお話しできたので、チャンスが転がってきました。

「40歳の転職の場合、半年程度前に不採用になったところに、再応募しても可能性はゼロである。」というのが転職エージェント、再就職支援会社の常識です。時間の無駄だからやめろと言われました。

それが、「転職しようとする会社に勤めている知り合いの推薦が決め手」の理論によって完全に覆されました。

転職しようとする会社に勤めている知り合いの推薦が決め手 

 

成功した面接

一次面接を得意の業績プレゼンで突破

再度、応募書類を出してから3か月後に1次面接に呼ばれました。しかもその面接は、私の今までの業績をスライドで15分ぐらいプレゼンするというものでした。もう、社外シンポジュウム等で何度もプレゼンしています。プレゼン内容に関しては名だたる業界誌で受理されたものであるので、絶対的な自信がありました。

その面接には、公平を期すためにわざとその部長さん(妻の元上司)は出席されませんでした。が、書類選考で強く推薦してくれたことは想像に難くなかったです。
ダイエットの効果も少し出てきている頃で、面接対策の身だしなみもちゃんと気を付けました。

そして、有難いことに、一次面接のプレゼン後に確かな手ごたえを感じました。

ペットボトルの水

1次面接から3週間ぐらい経ってから、2次面接に呼ばれました。そして、これが最終面接でした。事業を統括している取締役本部長と人事部長の前での面接でした。いわゆる人柄を見る面接です。

面接の前に、秘書さんから控室に通されました。その際に、雑談で、

1)約半年前に書類選考で落ちけど、やっと最終面接にこぎつけたこと。

2)雑誌の対談での本部長さんの記事等はできるだけ読んできたこと。

3)どうしてもこの会社に入社したいこと。

を伝えました。

 

大変厚かましくて、申し訳ございませんが、最終面談に臨む心構えや対策があれば、どんな些細なヒントでもいいので御教示いただけないでしょうか?

と頼みました。正に背水の陣です。1社目の面談の失敗のトラウマのため、すごく緊張していました。

すると、

秘書
秘書

お水でもどうぞ。これで落ち着いてくださいね。

とやさしい言葉をいただき、控室にあった冷蔵庫のペットボトルの水をだしていただきました。その際に、

秘書
秘書

フロンテさんなら大丈夫だと思います。

私は今まで、最終面接に来られた方にペットボトルの水を差し上げたことはないですから。一緒にこの会社で働けることを楽しみにしております。

と言われました。この言葉のお陰て、落ち着いて最終面接に臨むことができ見事内定を獲得しました。

あとから聞いた話では、その秘書さんはその取締本部長と仲が良く、最終面接者の印象についても意見が求められたりするとのことでした。正直、私は全く想定していなかったです。

私は正直最終面接では、緊張してあまり話せなかったかもしれません。しかし、この秘書さんとの雑談のお陰で、私のコミュニケーションの力を高く評価してもらうことができたのかもしれません。それが、最終的な採用につながったのではないかと、今振り返ると感じます。面接では、何が功を制するかわかりません。最終面接の日は、家を出た習慣から面接が始まっており、家に帰宅して部屋に入ってやっと面背が終わるのだという意識を持たれることをお勧めいたします。

控室に案内してくれる秘書さんも面接官だと思って接することをお勧めいたします

 

念願の内定をもらう (あっけない印象)

採取面接後、1週間後に人事から電話があり、「内定が出ましたので、入社されますか?」と聞かれました。何の迷いもなく、即答で入社しますと答えました。その当時は、ここで躊躇すると入社取り消しもありうるらしかったです。それから、数日して。人事部長の名前で内定通知書が来ましたが

「貴殿に置かれましては、20○○年〇月1日付入社内定とさせtいただきたく、ここにご通知申し上げます。」

とだけ書かれていました。

今までいた大手外資系会社では、内定の際に給料や諸条件が記載されていましたが、全く記載されておらず、交渉の余地すらなかったという印象です。

 

その当時は、この会社は、転職エージェントからの応募も受け付けておらず、「転職エージェントなど通さずとも、わが社には応募が殺到する。わが社に入社できることはステータスだ。」いうような前近代的な自負があったんだろうと想像しています。今では、そんな悪習慣もなくなり、転職エージェントを通じての採用が主流になっているとんことです。

 

実は、私は再就職が決まらないのでかなり追い詰められて、給料が半分になっても転職したいと思っていました。なので、入社条件には無頓着でした。

入社してみて、転職前よりも給料は上がっていて、福利厚生は抜群なことを知りました。

「やっぱ大手内資系会社はすごいわ。」と感謝したものです。もう、一生この会社で働いていこう。と強く決意したのもこの時です。人生の勝ち組になったような気分でした。しかし、人生とは皮肉なもので、10年後の50歳で再び、実質上の事業所閉鎖で職を失うことになるのです><

転職活動も成功裏に終わってみればあっけなかったと言うことはできますが、その家庭は本当に大変でした。最後は、やはり人との繋がりによって、職が運ばれてくることを実感しました。

リストラ後の転職で内定をいただいた時は、涙が出るほど嬉しくて、心から感謝しました。

 中高年の転職成功の秘訣

転職しようとする会社に勤めている部長以上の知り合いの推薦は、非常に強力である

実際に、この効力を私は何度も経験しているので、まず間違いないでしょう!