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リストラ離婚 中高年リーマンの半生

改めて自己紹介 その1 ー リストラ離婚 中高年リーマン

リストラ離婚 中高年リーマン

 

大手外資メーカーの事業所閉鎖のため、40歳でリストラと同時に結婚12年目の妻に離婚を言い渡されました。違約退職金と親からの借金で、4000万円を即金で妻に支払い、無一文になり、絶望しました>< 周りからは、馬鹿だと言われました!

 

リストラの経緯は

中高年 リストラ失業 - 青天の霹靂

中高年 リストラ失業 - 青天の霹靂
 

十数年も前のことなのに、昨日のことのように覚えていることがあります。それは、生まれて初めて、リストラ失業を言い渡された日です。入社して2週間以内、配属先の事業所に着任して2日目だったので、本当に考ええもいなかったです。正に想定外で、青天の霹靂としか言いようがありませんでした。

民間の外資系企業に転職した経緯

私は、長い間、大学関係の研究機関に勤めていました。大学関係の研究機関と言うと、個人が好きな研究を好きなようにする趣味の延長上の気楽な場所との印象がある方もいるかもしれません。が、実態は全く違います。完全なブラック企業のようなところです。

大学の研究機関の実態

 

1)好きな研究などできない。予算のつく研究しかできない。

 

2)長時間労働で、安月給である。土日でも働かされる。残業手当はない。(私は、睡眠時間を削って働けと言われた。)

 

3)教授に逆らったら生きていけない。独裁体制の機関。「教授がカラスは白いと言ったら、白いと言わなければならない」白い巨塔の映画そのものの場所。

 

4)教授になれなければ、一生下働きで、現代版の奴隷のような生活を強いられる。

 

5)教授になっても、ものすごい量の職務があり、業績を出せというプレッシャーにいつもさらされる。

39歳の時、こんな大学関係の研究機関で働き続けることが嫌になり、民間企業に転職することを決意しました。正に、不退転の決意で民間企業に就職しました。もちろん、経験のないところに39歳のオッサンが転職することはできません。なので、民間企業でも、研究をしている事業所に配属されることになりました。

大学関係の研究機関に勤めている時は、「先生、先生」とチヤホヤされますが、心をすり減らすほどの凄いプレッシャーの下、安月給と長時間労働を強いられます。正直、私の場合は幸せな人生ではなかったです。

民間企業では本当に歯車の一つです。自分の業績を出すのは非常に難しいです。その代わり、まともな労働時間が保証され、給料もかなり良くなります。私としては、その当時幸せを感じることのできなかった大学関係の研究機関を去ることにしました。そして、自分の将来の人生設計を踏まえ、民間企業に転職することにしました。この決断は今も間違っていなかったと感じています。私の人生の中で下した決断の中で、一番素晴らしいものだったと今も思っています。

 

人生には「まさか」がある

一流の大企業に勤めていて、順調に出世街道を走っている方は、リストラされるなんて自分には関係ない話だと確信しているはずです。それよりも、「なんであのできない同僚が俺と同じ地位なんだ。もっと、もっと俺が評価して貰えないと困るよ。悪平等主義がはびこっているんじゃないか?俺がいないとこの会社は回らないからな!」と愚痴をこぼしているかもしれません。私も調子に乗っていた時は、これに近いことを思っていて、いまは猛烈に反省しています。

やっと大学関係の研究所から足を洗うことができて、民間企業に入れたことを心から喜んでいました。まさか入社後2週間で、事業所に配属されて実質2日間で、自分自身がリストラの対象になって、職を失うことになるなんて、夢にも思いませんでした。本当に想定外でした!これが人生で言う「上り坂、下り坂以外のまさか」というものかと愕然としたのを、昨日のことのように覚えています。

「まさか」は政治家だけの話ではなかったのです。いくらあなたが優秀なサラリーマンでも、入社して2週間しか経っていなくても、身に降りかかってくることは十分考えられます。

私の場合は、39歳で転職してすぐでした。東京本社の研修を終えて、事業所に帰ってきた次の日、いきなり統括本部長室に、同じく最近転職してきたアラサーの女性とともに呼ばれました。

「なんだろう?」と思っていたら、その女性曰く、

同僚女性
同僚女性

新しいプロジェクトを2人で立ち上げることになるかもしれませんね。宜しくお願いします。

同僚女性
同僚女性

統括本部長直々だと、光栄といえば光栄ですが、入社早々お互い大変になりますね。

と大きな笑顔を私に向けてくれました。

私は、その女性とともに、期待に胸を膨らませて、意気揚々とまだ入ったこともない統括本部長室に向かいました。

「入社早々ついているな!大仕事なら、頑張って精一杯働くぞ~~~」

 

リストラを言い渡される

統括本部長室で、

フロンテ
フロンテ

失礼します。

と入ったあと、

統括本部長
統括本部長

まあ、まずは椅子腰かけてください。

と、にこやかに雑談をしました。結構雑談をしてくるので、怪訝に思っていると、

統括本部長
統括本部長

大変申し訳ないんだけど、この事業所はグローバル本社の意向で閉鎖されることになりました。

フロンテ
フロンテ

え?、、、、

統括本部長
統括本部長

二人とも入社早々申し訳ないので、1日前に私から直に伝えさせていただきました。

明日は、事業所の全従業員に伝えるので、それまでは内密にお願いします。

詳細は明日に言いますので。

フロンテ
フロンテ

、、、、、、

はあ

私は、他人事のように、ドラマを見ているような感じで、ぼっとしていた記憶があります。

同僚女性
同僚女性

ちょっと、呼吸ができません。

どういうことでしょうか?

と、同僚女性はかなり取り乱していました。

 

次の日にになると、朝一番でタウンホールミーティングが招集されました。

「出社している従業員の皆さんは、大講堂に至急お集まりください。

最優先です。今している業務は中断して、最優先で、至急お集まりください。」

そこで、事業所が年内に完全閉鎖されることがアナウンスされました。米国本社からも同様に、報道機関に向けて、同じアナウンスがされました。

会場は、最初は「シーン」としていましたが、事業所の完全閉鎖により、自分たちの職が無くなることがが分かると、それこそ、てんやわんやで、泣き出す従業員がいて、職場の雰囲気が一気に変わりました。

事業所の全従業員の雇用に関しては、全力を尽くすと言われたものの、「社内で別の職種の仕事を探すか、割増退職金を貰って、外で仕事を探すかしか道残されていない。」という、はっきりとしたメッセージでした。

私がこのタウンホール中に思っていたこと

1)私が入社するときには、事業所の閉鎖が決まっていたのに、箝口令が敷かれていたため、採用はそのまま進んだんだ。

2)それにしても、入社して2週間で事業所閉鎖のリストラでクビになるなんて、予想もしなかった。

3)人生って、本当にこんな嘘みたいなことが起こるんだ!(その時は、妻から離婚を言い渡されることは、もっと想像していなかったのです。そういう意味では、まだ私の心の平和は保たれていました。)

どこか他人事のような気持ちで、タウンホールでの事業所の完全閉鎖の話を聞いていました。本当に、人生に起こる「まさか」だけは、備えようがないんだということを実感した瞬間でした。

 

今から振り返れば、このようにちゃんと事業所閉鎖を宣言して、社員に対して手厚い(?)サポートをしてくれるこの会社には感謝しかありません。その時は結構ひどい会社だと思いましたが。

その後、50歳で私の首を実質切った内資の大手一流企業は、本当に本当に回りくどいやり方で、腹立たしさを強く感じました。真綿で首を絞めて、従業員が自ら会社をやめていくように仕向けるといった、本当に汚いやり方でした。その点、外資系のこの会社の方が、誠実で、社員想いだったと今になるとわかります。

 

兎に角、民家企業へ転職することにした。

民間企業の不安定さを目の当たりにしました。今回の事業所の完全閉鎖は、「私に大学関係の研究機関に留まるようにとの神様のメッセージかも」という考えが、頭によぎりました。実際に、大学関係の研究職に戻ってこないかという誘いも受けました。この誘いに乗れば、次の職を本当に簡単に見つけることができます。なので、一瞬ではありますが、心が動いたことも事実です!

しかし、ここで大学関係の研究機関に戻ってしまえば、またブラック企業のような環境で働くことになります。やっと39歳になって、清水の舞台から飛び降りる気持ちで、民間企業に行く決意をしたのです。ここで、引き返したら絶対に人生で大きな後悔をすることになると、本能で感じていました。

そのため、わずか数カ月で、また次の民間企業への転職活動に、背水の陣で臨むことにしました。その過程で、離婚によって家族を失うというとんでもない悲劇が起こったことも事実です。しかし、それにも増して、民間企業で働くことに、残りの人生を賭けるという気持ちは、ブレませんでした。

今にして思えば、困難な状況でしたが、ブレずに最高の決断を貫いたと思っています。

皆さんも人生において「まさか」のような状況に見舞われることもあるかもしれませんが、その状況に惑わされることなく、自分の気持ちに正直に生きることをお勧めいたします。易きに流れるのではなく、死にたくなるほど困難であっても、自分の望む道を歩いて行くことが、結局はベストなんです。このことは、私の体験から自信を持って言えます。

皆さんも、私のブログを読むことによって、「まさか」の中高年でのリストラ失業に打ち勝って、自分の望む道を進んでいくという気概を心の奥底に持っていただければ幸いです。それだけで、私がブログを書く目的が達成されたことになります。

 

 

離婚を言い渡された経緯は、 

中高年 リストラ失業で家族離散

 
 

中高年でリストラされても次の仕事を見つければ問題ないじゃないか?と思うかもしれませんが、現実はそんなに甘くありませんでした。少なくとも私の場合は、仕事を失うと同時に、家族も失ってしまいました!

中高年でリストラされたことがきっかけとなって、今までの夫婦関係での不満が爆発することがあります。なんと私の場合は、事業所閉鎖によるリストラで、妻の今までの不満が爆発し、兎に角。離婚して欲しいの一点張りでした。まさか、自分がリストラに遭うとも思っていなかったし、同時に妻から離婚を言い渡されるなんでも、夢にも思っていませんでしたなので、あまりにもショック過ぎで、現実として受け入れられませんでした。他人事のように捉えて、自分自身の精神の安定を保つのがやっとでした。

 

離婚を言い渡された経緯

なぜリストラで職を失った際に、離婚を言い渡されたのでしょうか?今だから振り返れますが、私が思うことを簡単にまとめると、

1)  やはり今まで家庭生活がうまいこと行っておらず、家内に大きな不満があったのでしょう。このことを、私は心からは自覚していませんでした。

 

2) 「共働きなのに、家事をほとんどしない。」「短気である。」「妻の意見を尊重しない。」と言ったことを指摘された記憶があります。


3)妻、が当時それなりの理由をつけて子供たちを連れて別居していましたが、離婚を想定していたことに全く私は気付いていませんでした。

 

4)リストラされて自分自身のことにしか意識が及ばず、八つ当たりのように愚痴をこぼしたことで、最終的なトリガーが引かれ、愛想をつかされたと推測しています。

 

5)私が転職先として家内の住んでいる近くを選ぶと、同居することになり、それをどうしても避けたかったので、このタイミングになったのではないかと思っています。

その当時の妻も精一杯だったのかもしれません。

「旦那がリストラされ、てそのことで愚痴を言われて嫌気がさした。」

「同居しないといけないかもしれなくなった。」

このことで、もう別れたいと気持ちが爆発したのではないかと推察されます。基本的に、旦那がリストラされると、妻は必ずこれからのことを真剣に考えることになります結婚生活は、子供が生まれて、日々の忙しさにかまけて、惰性に流されて過ぎていきます。なので、今までの生活に疑問を持たないで過ごしてきたが、リストラで今までの生活を振り返り、それを踏まえて今後の生活を見つめなおすことになります。この見つめ直す過程で、妻が旦那との離婚を決断することは十分にあります。私のケースがその典型例だと思います。

 

今だから考えれる妻の離婚宣言への対応

別居中に妻に好きな男性ができたが調べる

妻が男がいることを旦那に言うことはまずないですし、男性と違って、隠すのが非常に上手いです。別居して仕事をしている場合は、旦那が自分自身で、妻に別の男性がいることを確かめることは不可能です。この場合は、費用はかかりますが、探偵を使うことをお勧めします。男のために、旦那と別れようとしている場合は、1か月調査してもらえば、必ず尻尾を出しますので、調査してもらうことをお勧めします。

この時に、妻に男がいることを疑っていると悟られては、絶対にいけません。

「気持ちを整理するために、少し考えさせてくれ。」と言って、落ち込んだふりをしておきましょう。ふりなんかしなくても、実際にめちゃくちゃ私は落ち込みましたので、自然体でいれば大丈夫です。

今まで喧嘩しても、「一度も離婚して」と言われなかったのが、初めて言われて、びっくりして謝っても、

「あなたと離婚することを覆すことはないです。あなたが離婚を承認するまで、どんなに時間がかかっても、私はやり抜きます。」

と言われた場合、他に男がいる可能性は十分あると思います。なので、探偵を使って、はっきりとさせましょう。そうすることで、今後の展開がはっきりとします。

男がいた場合

この場合は、証拠と突き付けて、妻の両親にも自分の両親にも事実を伝えて、今後の話し合いをすることになります。

好きになった別の男の存在が、離婚したい最大の理由なので、妻が自分に言ってきたダメ出し「家事をしない、短気、尊重しない」は、真剣に受け取る必要はありません。ある意味、そのダメ出しの不満のために、他の男に目が行ったことは否めないかもしれませんが、それ以上に妻の行動には問題があるとしか言いようがありません。


ただ冷静になってください。例え、浮気したことが公に裁判で認められて慰謝料を貰えたとしても、子供の親権は、それでも母親に行くのが日本の法律の凄いところです。なので、離婚しても、子供の親権を獲得できないことは、心に刻んでおきましょう。

男がいなかった場合

この場合は、時間をおいて妻に冷静になってもらって、今後の対応を話し合うのがベストです。「どんなことがあっても離婚したい。」と私の場合は言われたので、離婚を回避することは難しいかもしれません。

しかし、短絡的に結論を出すのではなく、じっくり時間を取って妻と話し合い、少なくとも妻が離婚したい本当の理由を探し出して、自分である程度納得することが必要です。それは、妻のためであると同時に、自分自身のためでもあります。離婚後、自分自身が歩き出すためには、本当の離婚の原因を自分自身で消化して、今後再婚するかどうかも含めて、結論を出すのが理想です。本当に運が良ければ、この話し合いの過程で、離婚が回避されることもあるかもしれません。

旦那に愛想を尽かしていた時

例え旦那に愛想を尽かしていたとしても、初めて離婚を告げた際に、「離婚という結論は変えない。」と一方的に言うのは、どうかと思います。少なくとも、

「このままの状況では、離婚を考えているので、あなたには、これらを改善して欲しい。」

「改善できないようなら、夫婦を続けることは私にとっては、本当に不幸なので、離婚することを同意して欲しい。」

というのがあるべき姿だと感じています。私は

1)借金(生活費を入れないを含む)

2)暴力

3)浮気や風俗

4)アルコールや薬物依存

などの一発アウトの離婚原因を作ってはいないので、一方に不可逆の離婚宣言をされたのは、本当に寝耳に水で、そのショックと言ったら途方もなかったです。

妻から愛想を尽かされない態度

1)リストラされたことを家内には全く言わずに、新しい転職先あるいは社内の転部先を見つけてから話す。特に、単身赴任等で別居していて、家内が情報を耳にすることがない場場合はこれが一番効果的かもしれません。

→ しかし、一番つらい時期に相談をできないような妻といる意義を私は感じないので、たとえ離婚が回避できることが分かっていたとしても、私はこの態度は取らなかったと思います。


2)同居していて、周りに会社関係の奥様方から家内に情報が入ってくる場合は、事実だけを淡々と話し、会社内での他の部署に行ける可能性があることや、割増退職金の具体的な額を話し、全然大丈夫だという風にどっしり構える。

→ この態度が私には一番しっくりきます。別居していた私の場合でも、この態度を取れば離婚が回避できたと感じます。(今になってみると、回避できなくて良かったと思っています。その理由は、下記に示しますね。)

 

妻の離婚宣言への私の実際の対応

結論から言えば、リストラされてこれから職を見つけないといけないとき、家内から離婚を言い渡されたので、抵抗することなく離婚に同意しました。しかも、割増退職金ならびに親から借金して、養育費と慰謝料(?)として、4000万円を一括で支払いました!この詳しい経緯に関しては、下記の記事を見ればわかりますよ。

 

 
中高年 離婚 - 養育費等で4,000万円一括で支払った
中高年 リストラ離婚 - 養育費等で4,000万円一括で支払った本当に一括で4000万円支払いました。 まず4000万円を、離婚の際に一括で支払ったと言ったら、「馬鹿じゃない」と言われますが事実...

 

なぜ、4000万円もの破格の養育費と慰謝料(?)を妻に支払って、すんなり離婚したのか?

 

旦那が苦しい時に助けるどころか、傷口に塩を塗るような仕打ちをした妻に対して、心底嫌になったからです。

もちろん妻には妻の言い分があるので、私の言っていることが一方的に正しい訳ではありません。しかし、私は上記のように感じました。妻と争う気にもなれなかったのです。

こういう失業の危機の時は、家内が内助の功で絶対助けてくれるはずだと思っていました。もう10年以上夫婦を続けてきたのだから、意見の食い違いや不満はあるにしても、家族として一体になって、困難を乗り切っていくことを想像していました。それが、完全に幻想だったのです。

1)今までの結婚生活は何だったのかと嘆かずにはいられませんでした。

2)妻に腹が立つよりも、そのような妻と結婚した自分自身に嫌気がさしていました。

3)感謝の意味も込めて、最後は妻の好きなようにさせてあげようと、もめることなく離婚しました。

私が期待していた家内の言動

お金のことは心配しないで、あなたが本当に望む職を探してね。

旦那にとって都合が良すぎると思われるかもしれませんが、あの素晴らしい妻ならこのような言葉をかけてくれると思っていました。それほど、私は妻を高く評価していました!

私の妻は、バリバリのキャリアウーマンで、給料も私より高かったです。リストラ対策として、キャリアウーマンと結婚して、リスクを分散するのは一つの考え方です。私もそれを心から信じて結婚してから、妻のキャリアを伸ばすことに協力していたと自負していました。(妻はそうは思っていなかったことが、離婚の時判明しました。)

なので、私の家庭では、私が職を無くしても、妻の給料だけで十二分にやっていける状況でした。ところが、妻は私との家庭生活を破棄して、自立する道を選んだのです。自分の馬鹿さ加減に気付いたのがこの時でした。あの素晴らしい妻は、母親のような大きな愛で私を包んでくれると心から思っていました。それが、音を立てて崩れたのです。いままで12年間の結婚生活で喧嘩しても、一度も離婚の文字が出なかったのに、この時に、一方的な不可逆な離婚宣言をされたのです。そのため、私も、もう離婚でいいとしか思えなかったです。

ちょうど良い機会だから、一緒に住めるように関西圏の企業に就職して

私は家族と離れて単身赴任で、働いていたので、今回の事業所閉鎖によるリストラで、家族のいる関西で職を見つけようと考えていました。なので、妻も「一緒に住むために関西の企業に就職して!」と言ってくれると期待していました。

結果は、一緒に住むどころか、別れたいでした。もう、泣きたいを通り越して、「悪夢や!なんでこうなん?」としか思えませんでした。人生には、「上り坂、下り坂以外に、まさか」があると言われていますが、この一方的な離婚宣言が私にとっての「まさか」でした。この仕打ちで、妻が私に愛情がないことを悟り、すぐに離婚することに同意しました。

私の想い

例え離婚を切り出すにしても、一度は永遠の愛を誓った二人なのだから、それなりの礼儀というものがあると今も信じています。

1)初めて離婚という言葉が出たのに、改善する機会やチャンスを与えずに一発レッドカードでアウトはあまりにもひどい。

 

2)事業所閉鎖によるリストラで、職を無くした一番使い時期に、一方的に離婚することしか考えてないと宣言するのは、よほど嫌いな相手にしかできない。
3)ある統計によると、失職+離婚を同時に経験した中高年サラリーマンの自殺率は50%近くになるそうです。なので、わざと同時に持ってくるのは、ある意味、私の死を望んでいたのかもしれないと邪推することになりました。

なので、妻と別れることに関して、何の迷いもありませんでした。自分が、なんで今まで結婚していたのかと落ち込んだぐらいでした。その当時は、妻を少しは恨んだりもしましたが、今はそんなことはありません。初めから合わなかったんだな、結婚すべきではなかったんだなと感じています。

 

妻に関しては、未だに凄い女性だとは思っています。私を私の母親のように包んでくれることはなかったのに、それを私が期待したのが一番いけなかったのだと思っています。

妻としては

1)リストラで失業しても、泣きついたり、愚痴を言っている旦那よりは、悠然と構えて「大丈夫だ!心配するな!」と自信たっぷりの旦那を期待していた。

2)当面、妻に食わしてもらえればいいと思って、弱音を吐きまくって愚痴を言いまくった旦那と、これからも結婚を継続していく気持ちが急に亡くなってしまった。

3)今までの蓄積されてきた不満を顧みて、離婚しかないと結論付けた。

ような状況があり、ビシッと離婚を宣言したんだと感じます。なので、妻が悪いとは思っていません。別れるようにして、別れたんだと思っています。

別居中に妻に好きな男性ができたかは調べなかった

妻とは別れましたが、私との婚姻中に別の男性をつくるような女性ではないと信じています。どちらかと言えば、私にはもったいない女性でした。なので、探偵を雇って浮気調査をすることはしませんでしたし、しようとも思いませんでした。

妻には感謝している部分も多々あったので、自分にとって良い離婚条件を手に入れるための浮気調査は意味がありませんでした。そんなお金を使うなら、子供たちの養育費に回した方がよほど健全であると思っていました。

例え、その時に妻に好きな男性がいたとしても、

1)結局は離婚します。

2)リストラ失業の時に、離婚を不退転の気持ちで要請してきた時点で、妻への信頼はなくなっています。なので、浮気男がいたとしても大勢に影響はしません。

3)子供たちのために、養育費は、自分の出来る範囲で最大限、一括で払おうと思っていたので、浮気調査の結果を盾にして、減額をしようとは考えていなかったのです。

なので、調べる必要はありませんでしたし、その選択が間違っていたとも、私は思っていません。

今も、あの当時、妻に別の男がいたとは全く個人的には思っていません。

 

まとめ

結局、妻と私がなぜ離婚したかを、誤解を恐れずにシンプルに言えば、

結局の離婚理由

1)妻は、私への大きな不満があり、愛想を尽かして、一方的に強固な離婚宣言をした。

2)私は、旦那がリストラ失業した時に、追い打ちをかけるように、一切の猶予も与えずに離婚を強固に宣言する妻に幻滅し、離婚に同意した。

3)リストラによる失業は、あくまできっかけに過ぎない。離婚の原因では全くない。

4)お互いに別れるべくして別れて、金銭面や子供の親権等では全く揉めませんでした。非常にスムーズな離婚でした。

離婚の時に、子供達には、いつでも無制限に会わせると言っておきながら、結局この10年以上一度も会わせてもらっていないことは、倫理的もおかしいと思っています。4000万円という破格の養育費を払った元旦那の気持ちとしては、何とも言えないものがあります。このことには憤りを覚えていますが、「リストラで職を無くした時に、初めて離婚を切り出し、何の猶予も与えず離婚しかないと言い切った」女性なので、怒るだけ意味がないと、静観しております。

その理由は、私と妻が揉めて一番悲しむのは、結局は子供達だからです。戦略的静観です。幸いに、妻のお陰で、二人の子供たちが立派に成長しているようです。なので、そのことに関しては感謝しかありません。妻と私の一番の共通点で、共感できることは、「子供たちの幸せ」です。なので、結局は、子供達が幸せなら、それだけで十分ですし、元妻の貢献は素晴らしいと感謝しています。

 

リストラ失業がきっかけで、私は家族を失いました。そして、子供達とは10年以上会っていません。しかし、子供たちが幸せで、立派に育ってくれているので、それだけで十分です!