改めて自己紹介 その4 ー リストラ離婚 中高年リーマン
約10年後の50歳で再び実質的事業所閉鎖のためリストラ。
50歳での再度リストラ - 転職しかない
アメリカ人の本部長になってから、事業所再編という名のリストラが、徐々に、しかも確実に進んでいきました。どう考えて、今の部門が存続するとは考えられず、というか日本の事業所自体の存続を辞めて、閉鎖するようにしか思えませんでした。
以前、感が良い同僚が言った言葉が思い出されました。
しかし、上層部が外人になってからは、逃げ切れないことを薄々、嫌でも感じることになりました。
内容
部門長との面談
部門長が必要に応じて、個人面談をしてくれる機会があったので、ざっくばらんに聞いてみました。
やはり、私が尊敬する部門長はすごい心から感動しました。
短い面談でしたが、
1)米国事務所の部門長に私を紹介してくれた。
(この状況で生き残れるのは、今後主力となる米国東海岸の事業所であり、米国西海岸にある事業所には行くべきではないとの的確なアドバイスとくれた。)
2)今の事業所を辞めて転職する際には、推薦状を書いてくれると約束してくれた。
と、アウトプットはすごいものがありました。私の部門長自体がアメリカ人で、転職経験も6~7回あるので、非常にドライではあるものの、彼のできる範囲で最大限のサポートをしていただけたのは、本当に感謝しています。
私がドライと言いましたが、アメリカ人の彼からすれば、生産性のない事業所が閉鎖されるのは、当然のことであります。
それなのに、日本の法律で雇用が守られるからと言って、どうしてくれるんだと、会社にすべて頼る姿勢は奇異にしか見えないのだと感じました。
今後の身の処し方を考える
部門長との個人面談を経て、私は自身の今後の進路を下記の二つに絞りました
二つの選択肢
A) 今後主力となる米国東海岸の事業所に行く。
B)転職する。
A)を選んだ場合、基本的に3年間の出向は保証されるが、それ以降は
1) アメリカ人と張り合って、自分でポジションを獲得する。
2) 日本に帰ってきて、今の事業所でない部門に基本的に自分自身の力で移ることになる。
となります。
なので、その後の私の身の処し方について、色々と想いを巡らせました。
1) は、中高年の50歳の私では、今からネイティブスピカーのアメリカ人と対等に渡り合えるとは思えないし、万が一、何とかしがみつくことができても、アメリカに移住することになります。
私自身、アメリカの食生活が合わないし、アメリカで死ぬまで生活したいとは全く思いませんでした。
更に、子供たちがアメリカ人として生きていくことになり、マイノリティとして差別を受けることになるのが嫌というほどわかるので、子供たちのためにも得策でないと考えました。
2) の場合は、アメリカでの経験が社内で生かせることが必須ですが、そのような状況ではないことは、肌で感じていました。
なので、社内で部署を移るなら、今から探した方がいいことは明白でした。
実際、移れるような部署の知り合いにコンタクトしましたが、部署の雰囲気も良くなさそうだったのと、歓迎されていないのが言葉の端々に出ていたので、これは断念することになりました。
転職を選ぶ
結局、転職するのが一番得策であるとの結論になりました。ただ、転職するとしても、今の事業所と全く同じ職種であれば、将来また閉鎖の憂き目になることやならなかったとしても、斜陽職種であることは明らかです。なので、今の職種に近く、かつ今までの経歴を生かせる
1) 営業により近い職種
2)製品開発により近い職種
の2つに絞って転職活動することにしました。
しかし、中高年の50歳での転職活動です。中高年の40歳の時の転職活動でも辛酸を舐めたのに、更に10歳も年を取っての中高年の転職活動は、無理筋かなとは思いました。
できれば、今の会社にしがみつきたいとは思いましたが、ダメもとで中高年の転職活動をしてみようと考えました。中高年の転職活動を半年必死にしてダメだったら、そのまま、会社にしがみついたらいいので、転職活動をせずに、会社にしがみついたら大きな後悔をすることになると自分自身の中で結論付けました。
会社を辞めなければ、転職活動を半年必死でしてダメだったとしても、私には失うものはないですからね。それよりも、事業所が大きいので、事業所に属する従業員が本格的に転職活動に動く前に、一歩でも早く転職活動するのが、定石なので、すぐさま転職活動を開始しました。
背水の陣を引く
本社の事業所の部門長は、私のCVを見て興味を示してくれて、面談してくれることになりました。しかし、既に転職しようと決めていたので、日本の所属する部門長にも事情を説明し、転職することにしたと正直に決意表明をしました。
と部門長が言ってくれたことが嬉しかったです。
直属の上司にも、転職を考えているということを伝えて、ある意味背水の陣を引きました。その理由は3つです。
転職ができなかった場合、会社を辞めていないのでセイフティネットとして、会社にしがみつくことはできます。しかし、転職できない能力の人材であることが上司陣に明らかになることで、自分自身のプライドが傷つき、かつ残っても今後の出世は望めないことを認識し、必死で転職することになるためです。そのような状況に自分自身を追い込みたかったのです。ただ、中高年の50歳なので、セイフティネットの確保は死守する形にしました。
それなりに私は評価されていたので、社内から新しく立ち上げるベンチャーの主要スタッフに声がかかっていました。
なので、それを断るための明確なかつ正直な理由を伝える必要があったためです。
今の事業所の生産性が悪いから閉鎖されるのに、そこからいくら良い製品候補を手に入れたからといって、ベンチャーとして成功するとはとても思えなかったのが大きな理由です。
更に、私が見る限り、良い製品候補はなかったので、絶対にやりたくなかったです。
再婚後に、子供を二人授かっており、二人とも小学低学年だったため、安定した大企業に勤めて、家庭に迷惑をかけずに、それなりの生活を保障する必要があったためです。
転職活動を本格的に始めることにした
部門長や直属の上司にも転職活動をすることは伝えてあり、事業所の状況からも、大変心優しく理解していただいたため、転職活動はやりやすかったです。
始める時点から失敗していた点 ― どうしても、現在の職種に拘ってしまっていました。
やっぱり、30年近く携わっていた職種から離れることは、色々な点で不安がありました。違う職種で中高年の50歳から本当にやって行けるのかが、正直一番怖かったです。違う職種につけたとしても、結局はやって行けずリストラされたら元も子もないという想いが常に頭によぎりました。
かつ、自分自身にそれなりの自負があり、いくら斜陽職種とは言え、自分なら別会社でもそれなりのポジションを得ることができるのではないかと思っていました。
現実を知る
現在と同じ職種の募集は少なかったですが、それでもあったので、積極的に応募していました。ただ、10社ぐらい応募しても書類選考ですべて落ちてしまいました。
基本的に転職エージェントは通していませんでした(理由は依然の私のブログを参照していただければ幸いです。)。以前からお世話になっていたビズリーチを通じて、転職エージェントからもコンタクトがありましたので、転職エージェントを通じても応募していました。転職エージェントから紹介されるのは、部長クラスのポジションで、少し現在の職種からずれているものでした。私にドンピシャと思われる募集案件に、転職エージェントを介さずに3度ほど応募しましたが、すべて書類選考で落ちました。なので、知り合いの転職エージェントにその疑問をぶつけてみました。
兎に角、内資系会社は諦めて、外資系会社で、採用されやすい営業により近い今の職種に関連したものを中心に探すことにしました。
まとめ
この時は、以前の教訓を生かし結婚生活は安泰。
中高年 リストラ離婚 ー 私が実践した回避の秘策
「奥さんから、どうしても離婚したいと真剣に言われた。取り付くしまもないようだ。一方的過ぎて話し合いにならなかった。この時にはどうしたらいいの?」
実際に私が直面した現実です。私は中高年(40歳)で、リストラされた時に実際に、どうしても離婚したいと真剣に言われた経験があります。その際に、二人で話し合っても、感情が高ぶり、お互いに相手を傷つけることしかならなかったです。私が離婚を言い渡された時は、妻の方がかなり感情が高ぶっていました。
結局は離婚してしまいましたが、冷静な自分自身の想いをこめた手紙を書くべきだったと猛省しています。直接話すと結局言い過ぎてしまい、お互いに傷つけあって、修復不可能になったりします。そのため、冷静になって言葉を選びながら話すためにも手紙は有効な手段です。
現在は、再婚していますが、再婚後離婚危機に陥った時、この手紙の効果で、離婚が回避されています。こういった私自身の背景からお伝えしますね
内容
なぜ離婚を言い渡されたのか? ― 反省
離婚するにしろ、離婚しないにしろ、なぜ奥さんが頑なに離婚を言い渡してきたのかは、絶対に考えるべきです。これを考えずに勢いで「奥さんが悪い」という結論で、離婚しても、また同じ壁にぶち当たります。
一生独身でかつ、誰とも関わらずに生きていくならそれでいいです。でも、今後人と関わり、かつ再婚も視野に入れているなら、奥さんのためでなく、自分のために是非、離婚を言い渡された理由を考えてみるべきです
旦那に対して、絶対的な不満があります。
今のままの旦那の態度では、一緒に暮らしていけないと真摯に考えています。
もうやり直しはできないかもしれませんが、理由だけは絶対に特定する必要があります。
①, 奥さんと喧嘩したときに、絶対自分は折れずに妥協しなかった。折れて妥協するぐらいなら、離婚してもいいと本気で思っていた。
②, 奥さんは、働きながら子育て、家事と必死で頑張っていた。給料もどちらかといえば、奥さんが高いぐらいだった。なのに、家事と子育てをちゃんと手伝わなかった。
③奥さんは、ほぼ完璧な人間だと思っていたので、私のことを当然思いやってくれるものと思っていた。しかし、私は奥さんのことを本当に思いやっていたのかは疑問であった。奥さんに甘えすぎていたのである。
④奥さんは、私との生活でかなりすり減っていた。とても一緒にやって行けるとは思えなかったのではないか?
⑤口を開けば、奥さんに愚痴ばかりを言っていた。自分がリストラされる状況になったのは理不尽であると、世間をなじっていて、前向きではなかった。
なので、自分自身で推測したことに対しての対策を考えて、対策を含めて、奥さんに打診する必要があります。
自分自身が今後改心できること - 対策
私の実体験から、上記のことに関してそれぞれ振り返ると、
①に関しては、奥さんの方が優秀だと認めたくなかった所謂劣等感から来ていることであり、激昂せずに真摯に話し合い、屁理屈でなく、自分自身が改めるべき点は、改めるるし、そのようにさせていただきたいと心から言うべきでした。
②に関しては、ぐうの音も出ないことであり、これに関しては、家事と子育てを、少なくともできる範囲で手伝いたいと申し出るべきでした。
③に関しては、自分自身が奥さんに甘えすぎていたことを反省し、奥さんのことを思いやるべきでした。奥さんも完璧な人間ではなく、か弱い女性であることを認識すべきでした。
④関しては、既に別居していたので、冷却期間をおいて、自分自身が態度を改めるので、それを見て判断して欲しいと、離婚の延期を申し出るべきでした。
⑤に関しては、リストラされて職が決まっていなかったこともあり、なかなか前向きにならない時期であり、奥さんとの接触を、職が決まるまで断つべきあったと感じます。
私としては、奥さんが私に改心して欲しいというメッセージを送っていたのかどうかを、少なくとも私は確かめる必要/義務があったのではないかと思います。その確かめる方法として手紙が一番良かったのではないかと今になると思います。
中高年離婚を回避するため方策 - 手紙
裁判離婚でない限り、離婚するには私が離婚届を書くことが必要になるので、少なくとも手紙のやり取りはできます。
その1、理由を聞く
なぜ離婚を一方的に言われたのかを自分なりに考えた原因。とその原因に関して、自分が改心できることを書いて、「なぜ離婚を一方的したいのか」の理由を明らかにしてもらいましょう。
→これは、自分のためにも絶対必要で、悪かった点は謝り、改善策を示して、理由を教えてもらい今後に繋げましょう。たとえ、自分自身が離婚してもいいと思っていても、理由は明確に把握するようにしましょう。絶対にすべきことであり、人としての成長に繋がります。
その2、離婚したくないとの想いを伝える
離婚したくない場合は、一方的でもいいので、離婚したくないという自分の正直な気持ちをつづりましょう。プライドを捨て、心の奥底にある離婚したくないという想いを、たとえ稚拙な言葉でもいいから伝えましょう。この際に、絶対に相手を非難してはいけません。こうして欲しかったというような自分自身の願望を書くこともダメです。
なぜ、自分は離婚したくないかを、ウソ偽りなく書きましょう。世間体で離婚したくないなら、そう書いていです。もちろん復縁は難しくなりますが、正直な自分の想いを書きましょう。返事が来なくても、何も書かないよりは、よっぽどまっしです。
その3、客観的に今回の離婚要求を判断する
夫婦二人の問題ですが、離婚は人生を左右する大きなイベントになります。夫婦二人で判断するのではなく、客観的な第三者の意見を聞いてから判断することも重要ではないでしょか?
奥さんは、明らかに旦那さんが悪いと心から信じている(実際、私の場合はそうでしたが、その時はそうは思えなかったのです)のですから、客観的な第三者に判断してもらって、それで離婚すべきという話になれば、離婚しますという内容の手紙を送れば、奥さんも納得して判断の場に出てきてくれて、思いの丈を述べてくれるでしょう。
この手紙では、旦那さんが一切自分が悪いと思っていない場合でも有効な手段です。客観的な第三者の判断で、離婚することを了承しますとのメッセージですので、自分に絶対的な自身のある奥さんは、応じるでしょう。二人っきりでないので、旦那が激高して、一方的に罵声を浴びせるような心配もないでしょうから。
この場合は、客観的な第三者は、奥さんに選んでもらった夫婦問題カウンセラー・離婚カウンセラーがいいでしょう。奥さんが夫婦問題カウンセラー・離婚カウンセラーを選んでくれないなら、自分である程度選んで選択肢として提案しましょう。
離婚カウンセラー・夫婦問題カウンセラーの探し方
(1)近所のカウンセラーを探す
離婚カウンセラーは、各都道府県に団体があり、日本全国で活動しています。インターネットで探す場合は、「都道府県 離婚カウンセラー」などと検索すると、近所の離婚カウンセラーを探しやすいです。実際に離婚カウンセラーに相談する際は、まずはホームページ経由や電話でカウンセリングの予約を取ります。相談の方法は、電話、メール、対面での相談とさまざまあるので、ご自身の都合にあった方法を選ぶとよいでしょう。
(2)信頼できるカウンセラーを探す
カウンセラーと称する人の中には、経験もなく無責任な対応をし、相談料だけとるような悪質な人もいます。、離婚カウンセラーに相談する際は次の条件を確認してください。
❶資格保有者であること
離婚カウンセラーは民間資格です。自治体などが行う離婚相談などでは、離婚や夫婦の問題に関係のない人が担当することもあります。民間資格である離婚カウンセラーが直接相談に対応してくれるかどうかは非常に重要です。
❷守秘義務が遵守されているか
離婚や夫婦の問題はとてもプライベートなものです。それだけに、相談する際は相談室がクローズされているかなど、守秘義務の遵守がなされているか必ず確認しましょう。
❸明朗会計であること
相談する際は、相談料が無料か有料か、有料相談の場合は時間と費用はいくらなのか、その後の継続はどうなるのかなど、しっかり表示してあるか確認しましょう。
❹カウンセリングの経験があること
多くのカウンセリングの経験をもち、しっかり勉強している離婚カウンセラーに相談すべきです。離婚カウンセラーの情報を事前にサイトなどで確認しておきましょう。
その4、離婚してもいいという決意
こんなに離婚を一方的に言ってくる奥さんとは、こちらも今後一緒に結婚生活を続けていけないと思った時は、離婚を受け入れる用意があるとの手紙を書きましょう。
この時も、相手を絶対非難してはいけません。あくまて、ここまで思い詰めて離婚を迫らせたことに関して、謝罪(→したくない場合は、不本意)であることを告げ、今までの結婚生活で、奥さんに感謝できることに関しては、感謝の気持ちを伝えましょう。相手の悪い点や避難したい点は、一切書いてはいけません。どうせ離婚するのだから、そんなことを書く意味はないのですから。
今までの結婚生活やお付き合いの中で感謝できることは必ずあるはずです。でなければ、元々結婚なんてしないでしょう。
お互い前に進んでいく意味でも、感謝できる点をウソ偽りなく、思いつくだけ挙げて、そのことに関しては、心から感謝するとの旨の手紙を書きましょう。あと、自分に至らなかった点がある場合は、的外れでもいいから、自分が思う至らなかった点は列挙し、それに関しては謝罪しておきましょう。100%相手が悪い、100%自分が悪いといったことは基本的にはないのですから、自分が悪かったと思う点に関しては、言及し謝罪するのが、人としての道です。
そして、今後の離婚に関して、色々と取り決めないといけないことがあるから、二人あるいは第三者を入れて直接話したい旨をしっかりと書きましょう。
いづれの手紙内容にも、奥さんに感謝すべきことと、自分自身の至らなかった点ははっきりと書くようにしましょう。奥さんを責めることや非難することは絶対書かないようにしましょう。これが、離婚するあるいは、離婚を回避する手紙の書く時のキモとなります。
手紙を送付後の対応 - 実行
熟考して書いた手紙を送付した後は、返事が来るまで焦らずに待ちましょう。奥さんは、離婚したいのですから、離婚届を書いてもらうために必ず連絡してきます。連絡してきた時の、奥さんの反応で、ある程度のことがわかるかもしれません。
(その1)の理由を聞く手紙内容では、理由を言ってくれないかもしれませんが、理由を言ってくれてそれがリーズナブルなら離婚してもよいと返せば、全部ではないにしろ、ある程度の理由は明かしてもらえる可能性はあります。
(その2)の手紙に関しては、奥さんの心に届かず無視される場合が多いかもしれませんが、少なくとも自分自身の気持ちを表明したことに大きな意義があると思います。その後、理由を聞くか夫婦問題・離婚カウンセラーとの相談のお願いをする方向で手紙を書けば、奥さんからの反応はあるはずです。
(その3)の手紙は、夫婦問題・離婚カウンセラーとの面談の日程を奥さんの都合に合わせ、費用もすべて自分が払うことにすれば、十分実現可能だと思います。
(その4)の手紙は、離婚に向けた諸条件の話し合いなので、奥さんが拒否する理由が見当たらないので、まず大丈夫でしょう。
奥さんから一方的な離婚要求をされた場合は、冷静になってから、1週間程度を目安に、奥さん宛の手紙を書くことをお勧めします。離婚を回避するにせよ、離婚するにせよ、手紙を書くことは、今後の人生において本当に有意義です。
実際、その手紙を書かなかった私は大変後悔していますし、人生の大きな課題をしなかったと、喉の奥に骨が刺さった状態でずっと生きています。
是非、皆さんは手紙を書きましょう。
まとめ
奥さんから中高年で離婚の要求をされた時は、冷静になってから、1週間を目安に、奥さんに感謝すべきことと、自分自身の至らなかった点ははっきりと明示した手紙を書きましょう。その手紙では、奥さんを責めることや非難することは絶対しないことが前提です。それから、今後のことを決めって言っても遅くはありません。1通の手紙の効果は驚くものがあるはずです!
1)なぜ離婚を言い渡されたのかを考えてみる。― 反省
2)自分自身が今後改心できることを考えてみる - 対策
3)離婚を回避するための手紙内容 4つ - 決意表明
4)手紙を送付後の対応 - 実行
改めて自己紹介 その3 ー リストラ離婚 中高年リーマン
さらに、婚活を成功させて7歳下の女性と再婚。
中高年の婚活成功の秘密 ー 15Kgのダイエット!
40歳の時、私が勤めていた大手外資系企業の事業所閉鎖により、職を失いました。職を失うとともに、その当時の妻から離婚を突き付けられ、小学校低学年と保育園の子供が二人いたのにも関わらず、家族まで失いました。この強烈な体験が、私をダイエットにと駆り立てました。ダイエットなんて人生で考えたことのなかった私ですが、転職と再婚を念頭において、生まれて初めてダイエットをしました。そして、8か月ほどで15kg痩せました。
ダイエット成功のための秘訣
簡単に言えば、強い動機があるかないかです。これがすべてです!
ダイエットで成功するためには、とにかく動機が重要です。私には、職と嫁を探さないといけないという不退転の動機があったのです。これで失敗するわけないです。失敗すると、自分自身の人生を失うという強迫観念に駆られていたぼで、成功しました。ただ、徐々にリバウンドして、今では完全に元に戻っるどころか、8kg近くも元より体重が増えてしまいました。ただ、ダイエットで15Kg痩せたのお陰て、40歳だったのにも関わらず、良い条件の職と再婚が決まりました。。そして、目的は達成したので、リバウンドしてしまった次第です。
強い動機がなければ、時間とお金の無駄になるので、悪いことはいいません。辞めておいた方がいいでしょう。
あと、リバウンドなしで、ずっと痩せた状態を保ち続けることは難しいです。なので、目的を果たすとリバウンドして、ダイエット前より体重が増えることは多々あります。私も、リバウンドして、今ではダイエットを始める前よりも8Kgも体重が増えております。リバウンドなしのダイエットは、無理せずに、長期間かけて、習慣化して体重を減らしていくことだと頭では理解していますが、私は一度も成功したことがないので、何とも言えないのが現状です。
太っている時の私はまさにこの写真のようでした(涙)
ダイエットの方法論
1) 食事制限 + 運動 → 一番効率がいい。
2) 食事制限のみ
3) 運動のみ → 効果が表れにくい。
薬によるダイエットや脂肪吸引によるダイエットは、医学的にリスクを伴うので、医師の判断で行うものは除いています。
皆さんが短期間で結果を出すのでしたら、食事制限+運動が一番効果的なので、迷わずこれを選びましょう。激しい運動が難しい場合は、ウォーキングだけでも効果が違います。→ 今の私の妻が実践した方法です。
私の実際のダイエット方法
元来つらいことはしたくなかった私は、運動を選びませんでした。運動すると、その分、頑張ったご褒美に食べてもいいだろうと思ってしまう性格もあり、運動を選ばなかったことは、私にとっては正解だったと感じます。もちろん、運動もすることが良いのは自明の理です。意志の弱い私には、正直無理でした。
なので、私は食事制限をしました。ただ、素人の私がやみくもに食事制限すると、必要な栄養素が枯渇して、病気になってしまう恐れがあるので、ダイエット食品を使って、食事制限することにしました。そして、私が実際に使って成功したものがマイクロダイエットです。
マイクロダイエット - 値段を見たらわかるようにこれはかなり高額です。
なぜマイクロダイエットを選んだのか?
1)私の知人2人が実際にこのマイクロダイエットで痩せたと言っていた。
知り合いから実際の話を聞くと、信頼度が全然違いますね。
2)金額が高かった。
安いと、まあダメでもいいかと私は思ってします性格ですが、高い値段だと、必死になって、元を取ろうという考えになるためです。
マイクロダイエットは、大量買いすると値段は安くなりますが、大雑把に1食1,400円ぐらいします。1日2,800円, 1か月84,000円もしました。馬鹿に高いのです。しかも、カロリーを低くしているため全然おいしくない。もうこれで痩せんかったらやってられるか~~~です。だから痩せるんです!
実際マイクロダイエットで減量してみて、
1) 動機が強いので、1日2食はマイクロダイエットを食べていました。会社に行っていたので、社員食堂での食事代は、月極で支払うので、昼ご飯は普通のものを食べて、ストレスを解消していました。
2) 減量は成功して体重は減っていきましたが、常にお腹がすいている状態でした。飢餓感が半端なかったです。なので、これをずっと続けていくのは無理だと思っていました。
3) 1か月に84,000円の出費を、一生続けていくのは無理でした。再婚後、マイクロダイエットの費用を出してくれと家内に言いづらかったこともあります。
4)マイクロダイエットは、種類が豊富でなく、私は7種類をずっと8か月も食べていたので、いい加減、バリエーションの無さに飽きて嫌気がさしました。なので、自分の意志で、食事量を減らすように頑張ろうとしました。
5) 夜の飲み会や友人との会食が、どうしても入ってしまい、なかなか難しい状況ではありました。飲み会や夜の会食では、我慢せずに思いっきり食べていました。
やっぱり、一番大変だったのは、金額が高かったのと、味がおいしくなかったことです。
マイクロダイエットの効果は本当に絶大でしたが、
1)1食1,400円もする。
2)流動食のような感じで、あまりおいしくない。
最近は、冷凍弁当が売られていますので、お勧めです。例えば
カロリー・塩分をコントロールした宅配弁当《おまかせ健康三彩》
だと、
1)1食700円弱で、マイクロダイエットの半額以下
2)1食あたりのカロリーは144kcal~238kcalで、これもマイクロダイエットよりカロリーが低い。
3)ちゃんとした料理で、しかもマイクロダイエットよりも遥かに美味しい。
これだと、味的にも、値段的にも、カロリー的にも優れているので、より簡単にかう確実に痩せれます。
また、種類も多いウエルネスダイニングも、30種類もあるので、飽きることがありません。
ウェルネスダイニング
このウエルネスダイニングは、
1)1食700円弱で、マイクロダイエットと違い本格的な料理です。
2)1食当たりのカロリーは、240~300 Kcalです。
3)メニューが30種類あるため、毎日食べても飽きない!上記の「おまかせ健康三彩」は7種類しかないので、この点は優れています。
ただ、大切なことは、これで痩せたとしても、ずっとこの1日2食分を置き換えダイエットを続けなければ、体形は維持できないということです。なので、金額的にも味的にも、問題なく続けれることが一番大事です。
80Kgから65kgになり、別人だと言われた!そして、婚活成功!
痩せたので、婚活サイトで今の妻であるみれいさんにお付き合いの申し込みをして、受け入れられました!みれいさんと出会ってからは、毎週デートの日々を過ごし、本当にあっという間に結婚しました。
15Kg減量したお陰で再婚できました^^
初対面 - わぁ美人!
みれいさんと初めて会う日は、桜木町のベッカーズ、コーヒーの前に、日曜日の13時に待ち合わせました。もちろん、私からメッセージを差し上げた方でした。プロフィールの写真からは、笑顔の綺麗な快活な方とのイメージがありました。30分ぐらい前に着いたので、近くにあったお店で、靴下を買った記憶があります。みれいさんも早めに着いていたみたいで、姿は見かけました。期待値が高かい場合は、うまく行かないことがあるので、買い物でもして、そのまま帰ればいいかと平常心を保つようにしていました。
時間通りに待ち合わせ場所でお会いして、そのまま予約していたランドマークタワー68階にある四季亭で昼ご飯を食べました。気合十分なお店を選びました。
実際にお会いすると、写真よりも綺麗な方でびっくりしました。なぜあの写りの悪い写真を使ったのか聞いたところ、妹のような感じで世話をしたくなるような写真を選んだとのこと。以前、そのままの写真を載せたら、写真がしっかりした長女のように見えたためか、頼ってくるような男性が多かったのだそうでした。いつものように、そんなこともあるのかな~と聞いていました。かなりの美人なので、サクラだと思われて、お会いした人に、そのまま帰られたこともあったと後から聞きました。私も、本当に綺麗な方だったので、バツイチじゃなかったら、私の方からメッセージも送らないし、会いたいと言われても、ものすごく警戒したと思うので、そのサクラと疑った方の気持ちも分かります。私もあんまり期待すると、ダメだった時のダメージが大きいので、平常心を保っていました。
平常心を保っていると言っていますが、実際保っていなかったのか、1合2800円もするお酒をその時頼んで、みれいさんに驚かれました。「折角、このように、みれいさんにお会いできたんだからいいじゃないですか?」と私が言ったのが印象的だったと、未だに家内に言われます。ガ~ン、完全に舞い上がっていた恥ずかしい><
2回目デート 1週間後だ~~ 無理にでも夕食に。
もちろん私は気に入りまくったので、1週間後に再度デートの約束を取りつけました!
同じく日曜日の夕方5時に、東京の有楽町にあるPrivate Dining 店(TOMORU)で夕ご飯を食べました。(日記をつけない私が日記をつけていたので間違いない!→ 舞い上がっている><)
3回目デート その6日後だ~~ いちご狩り&蛇の目寿司(じゃのめずし)
みれいさんは、花粉症だったため、少し辛そうでした。でも、おいしく苺を食べて、いい思い出になりました。
夕食は、つくばの蛇の目寿司(じゃのめずし)
アナゴが最高です!ここは、みれいさんも本当に感動してくれて、子供が生まれてから、みれいさんの両親とともに再度訪問しました。また、是非行きたいな~~~
この寿司屋のお陰で再婚ができたんじゃないかと思えるほどの名店です。器も特注で、すごい芸術品です。
4回目デート またその1週間後だ~~ みれいさんの好きなベーグル屋
マルイチベーグル
ニューヨークの超有名老舗ベーグル店Ess-a-Bagelと同じ手法でオリジナルレシピで創ったベーグルで、独特なもちもち、むっちりとしたボリュームのある食感、シンプルで素朴な味わい、そしていい香りがするベーグルが食べれます。
その後、Ess-a-Bagelのベーグルをニューヨークで買って、家内のお土産にすることになるとは、人生とは不思議なものですね。
その後、毎週のようにデートして、初めて会ってからたった2か月後、二人でバリ島に旅行に行くことになります。みれいさんの方からのお誘いだったので、もちろん私はOK!で、素晴らしいホテルを予約してくれました!
エキサイト婚活を卒業 初めて会ってから1か月半後だ~~
私の気持ちが固まって、みれいさんと結婚を前提にお付き合いしていこうと思ったので、エキサイト婚活を退会しました。みれいさんには言ってなかったのですが、私のプロフィールがなくなっていたので、連絡が来ました。そこで、私の気持ちを伝えると、私からは何も言っていないのに拘わらず、みれいさんもすぐにキサイト婚活を退会してくれました。そう、婚活を卒業ということは~~~~、再婚です!!!
バリ島婚前旅行(約一週間) 初めて会ってから2か月後だ~~
私達が行ったときは、「ザ・リッツカールトン・バリ・リゾート&スパ」という名前でした。下記のプールは、当時みれいさんと一緒に泳いだプールです。
いまは、アヤナ リゾート&スパ バリと名前が変更されています。オーナーは変わっていません。これは、ビジネス上のゴタゴタのせいであり、興味のある方は調べてみてください。
アヤナ リゾート&スパ バリと名前が変更されてから、子供と一緒に再び訪れました。
婚約指輪と結婚指輪を買いに行く 初めて会ってから3か月後だ~~
カルティエ 銀座ブティックで婚約指輪と結婚指輪を注文に行きました!高かったけれど、いよいよ再婚するんだという意気込みを感じることができました!
2人で住む新居の賃貸契約 初めて会ってから4か月後だ~~
私は今までは会社の独身寮にいましたし、みれいさんは実家で暮らしていたので、二人の新居が必要でした。再婚同士といっても、新婚なので、新築の3LDKの賃貸マンションを借りました。田舎の方なので、非常にリーズナブルな値段だったので安心した覚えがあります。環境も良くて、駅へも徒歩5分程度で非常に便利なところでした。
入籍 初めて会ってから4か月半後だ~~
とうとう結婚しました。今から思えば結婚式をしたら良かったかな~と思いますが、その当時は形式的なものよりも実質的なものに重きを置いていたので、二人の生活にお金をかけことにしました。正にバラ色でした。下記の写真のイメージそのものです^^
結婚写真は撮っておけば良かったとマジで後悔しています>< みれいさんの前の結婚式の写真を飾っています。
まとめ
お陰て再婚できてよかった~~~ これが偽りのない心境です!
騙されたと思って、ダイエットしてみてください!婚活では物凄い効果を発揮しますよ~~~
さすが、カルティエ 銀座ブティック。後ずさりしてしまうような店構えですが、その当時はもっと店構えも違っていて、入りやすくて、地下に案内されて色々と手続きをした記憶があります。その時、カルティエの袋に入ったチョコレートが置いてあって、バクバク食べた記憶があります。私は、指輪よりも、カルティエのチョコレートが気に入りました。注文した指輪を取りに行った時も、再び、カルティエのチョコレートをバクバク食べていました。みれいさんには呆れられていたかもしれませんが、いや、本当においしかった記憶が鮮明に残っております。
この挫折と離婚で、人生の勝ち組?になりました!
中高年 リストラ離婚 - 挫折と離婚で、人生の勝ち組に?
離婚すると転職の時に不利になったり、離婚するぐらいだから部下の管理は任せられないとネガティブに捉えられたりすることがあります。
しかし、離婚という弱みを生かして、相手の懐に飛び込んで、人生の勝ち組になることは十分可能です。離婚したことを変に隠そうとしないで、私は公にしています。すると、話相手の方も、「私もバツイチなんですよね」と心を開いてくれて、話が盛り上がったりします。私の子供の頃と違って、離婚している人は、社会の脱落者とのレッテルはもう貼られなくなっていると実感します。
内容
完璧な人は好かれない
当たり前ですが、完璧な人や正論ばかり吐く人は、人に好かれません。一緒にいても居心地が悪いですよね。人間は、弱い点があったりするから、親しみを感じたりするのです。お笑い芸人が、超高学歴で、投資でガチガチに儲けている人だったら、笑いを取れないですよね。言い方は悪いですが、自分よりランクが下の人が馬鹿なことをやるから、受けるんです。お笑い芸人は、ブ男やブスが結構いますし、ブ男やブスの方が明らかに人気があります。
お笑い芸人:アインシュタイン
アインシュタインの稲田は、なんて悲惨な顔をしているんだろうと感じていました。絶対モテないし、気持ち悪がられて一般企業では出世もしないでしょう。私なら、結構絶望してヤケになっていたかもしれません。しかし、めちゃくちゃブ男ですが、明るい性格であるためか、子供のころからいじめられたことはなかったそうです。
そして、お笑い界に所属することにより人生が開けてきます。下顎が異常に長く、インパクトのある顔立ちから、今いくよ・くるよのくるよに、「よしもとの宝」と言われています。ブ男が、その不細工な顔のせいで、「よしもとの宝」と言われて、実際に売れています。相方の河井ゆずるの方が、よっぽどイケメンなのに、稲田の方が圧倒的にテレビでも活躍しています。しかも、漫才のネタも、稲田の顔の悪さを全面的に出したものです。
このように、自分の弱点を長所に変えようとする発想は本当に大事です。
お笑い女芸人:ガンバレルーヤ
ガンバレルーヤのよしこをテレビで見たときも本当に衝撃を受けました。こんな不細工な女芸人がいるんだとびっくりしました。なんと本人は女優志望だったということで、そのポジティブさに舌をまきました。
キレると「クソが!!」と暴言を吐くことがあり、それが今ではギャグになっています。これが綺麗な女性が発した場合は、好きにはなれないですが、よしこなら許せるというのがあります。やはり、ブスの特権を生かした芸風です。しかも、よしこのようなブスを見ていると、自分に自信のない女性は安心するのではないでしょうか?これもブスという女性にとっては本当に本当に大きいハンディキャップを克服して、それを長所として、ブレイクしていった凄さです。
アインシュタインの稲田とガンバレルーヤのよしこをテレビで見るたびに、自分自身が背負っているハンディキャップなど無いに等しいと思うようになりました。更には、たとえハンディキャップがあったとしても、それはやりようによって、大きな武器にすることができることを稲田とよしこから学びました。
挫折と離婚を隠さない
私は結構順調な人生を歩んでいたので、離婚は大きな挫折でした。他人から見たら大したことないかもしれませんが、できれば隠したい過去でした。しかし、今では自然な話の流れで自分から語るようにしています。
小学校の頃から、クラスでも成績は1~2番で、運動も良くできて、これもクラスでも1-2番で、必ず他の小学校のとの対抗する連合運動会には、代表選手として選ばれていました。別に、大した努力もしなかったので、運動や勉強ができない人の気持ちなんてこれっぽっちもわかりませんでした。中学校の時も、親がどちらかと言えば貧しかったので、中学受験はさせて貰えませんでした。なので、地元のその当時ツッパリが多くいる不良中学校に通っていました。なので、成績はいつもトップクラスでした。運動もそこそこできていました。
高校は、地元の公立のトップ高に進学しました。まあ、ここで自分が勉強できないことを思い知りました。中学校まではいつもクラスで1番だったのが、高校では真ん中ぐらいの成績でした。学年の順位は、178番だったのを今でもはっきりと覚えています。かといって、必死で勉強しなかったのが、今では大きな後悔です。いまでも、時々中間テストや期末テストの直前で、何もまともに勉強をできていなくて、脂汗を出す夢を見ることがあります。私の人生では、この高校の時の勉強の出来なさが、一つの挫折でした。
その後1浪して、そこそこの大学に入って、高校の時の勉強の出来なさを克服する意味もあって、大学院の博士課程まで進学しました。大学院の学費は、親から出してもらうことなく、奨学金等を貰って、どうにか自分自身で賄いました。博士号取得後、すぐに結婚して、海外への研究留学を長い間しました。帰国後政府関係の研究機関に働いていました。そして、39歳の時に、自分がアカデミア(大学関係)の研究機関で、今後もやって行けるかどうかを冷静に考えて、一般企業に行くことにしました。正直、アカデミア(大学関係)の研究機関で研究職を続けることは苦痛でした。安月給で、大きなプレッシャーの中、成果を出すために必死でのた打ち回るのは限界が来ていました。これが仕事での大きな挫折です。その後すぐに、12年近く婚姻生活を続けた妻に離婚を言い渡されることになります。プライベートの生活での大きな挫折です。
アカデミア(大学関係)にいたころは、それなりの業績も出して、「先生、先生」と言われていたので、正直エリート風を吹かせて、凄い発見をしてやると意気込んでいました。今にして思えば、変に自信満々の嫌な奴でした。自分自身でも、結構無理していたと思います。
それが、リストラ離婚されて、開き直ってそのことを公にすると、自然体で生きれるようになり、アカデミア(大学関係)にいた頃の大きなプレッシャーからも解放されました。
笑いと親しみを持ってもらえる
1) 40歳で、アカデミアでの研究職を挫折。
2) 民間企業に入って2週間ですぐにリストラ。
3) その後12年連れ添った妻に離婚される。
4) 3年分の割増退職金を貰うが、すべて離婚のための慰謝料養育費となる。足りずに、挙句に親から1000万円以上借金する。
を、あけすけに聞かれたら話すことにしました。だいたい話すと、
「漫画みたいやな?」
「本当の話か?」
「波瀾万丈の人生やな?」
というように言われ、笑いと親しみをもってもらえるになりました。
大学時代の学部の同窓会を主催する
民間企業への就職と離婚を機に、40歳の時に、大学の学部の同期の同窓会を主催しました。自分自身の人生を振り返りたくなったのが、一番の動機です。結構、人が集まり、それ以降毎年開催しています。同期の中には本当に優秀な研究者もいて、39歳で母校の出身学部の教授に就任した奴がいます。彼だけでなく、40歳ちょうどで、これまた母校の出身学部の教授に就任した奴もいます。私の所属する同期は、稀にみる優秀な奴らばかりです。部長クラスになっている奴や、サラリーマンなのに確定申告をしないといけない奴が結構います。凄いです!
正直、なかなか皆さん忙しくて、同窓会に集まってくれることが難しかったのです。しかし、仕事に挫折して、離婚もされた私が中心となって、同窓会を企画すると多くの方が有難いことに参加してくれました。優秀な同期の母校の大学教授が同窓会を主催すると、ここまで人が集まらなかったのではと思います。同窓会は、ある意味成功者の自慢大会みたいな要素があります。なので、ある程度社会的成功を収めていない人達は、辞退します。
その点、私のような仕事もプライべートもボロボロの奴が主催すると、「フロンテを慰めてやろうか?」という感じで集まってくれました。
そして、私の漫画のような人生話を肴にして、わきワイワイとした雰囲気になり、一気に大学生時代のような素晴らしい雰囲気になりました。何とも言えない懐かしさと、過ぎ去った日の切なさが入り混じった雰囲気でした。
このように最初の同窓会が大成功して、その後毎年同窓会を開けることになりました。私が、自分の失敗(仕事の挫折+離婚された)を前面に出して、笑いと親しみを持ってもらったお陰です。
負けるが勝ちというのを実感
転職してからも、キーパーソンと個人面談をするのですが、話の流れで面白おかしく自分の失敗(仕事の挫折+離婚された)を話すようにしています。
1)アカデミアからやっと一般企業に転職したら、2週間でクビになった。
2)でも、割増退職金として3年分の金額を貰えた。
3)でも、離婚を言い渡されて、割増退職金は、すべて養育費と慰謝料に消えて、それでも足りずに親から借金した。
4)でも、今は再婚して、このように仕事得ております。
が鉄板ネタになっております。ほとんどの人が笑顔になって、私に親しみを覚えてくれて、その後の人間関係の構築が、本当にやりやすくなりました。
新卒で入ってくる新人研修の際にもこの鉄板ネタを披露しております。年齢差もあって、通常は大きな壁があるのですが、この鉄板ネタのお陰で、笑顔になって、私に親しみを覚えてくれます。
このように、挫折と離婚のお陰で、人生の勝ち組に近づいたと私は解釈しています。皆さんも大きなネガティブポイントを、自分の強み(武器)に変えるようできたら、人生は輝いてくるので、是非試してみてください!
改めて自己紹介 その2 ー リストラ離婚 中高年リーマン
4000万円を即金で支払いました><
中高年 リストラ離婚 - 養育費等で4,000万円一括で支払った
本当に一括で4000万円支払いました。
まず4000万円を、離婚の際に一括で支払ったと言ったら、「馬鹿じゃない」と言われますが事実です。たぶん、弁護士を立てて話し合いをしたら、4000万円どころか、月10万円の養育費にもならなかったと、言われたことがあります。私も、法テラスのような無料の弁護士相談に行った際にいわれたアドバイスです。
じゃ、4000万円支払ったことに後悔しているかと言えば、別に後悔していません。しかし、その際の取り決めである「子供と好きな時に面会できる」という約束を反故にされたことは、未だに納得しておりません。誰が何と言おうと、この点に関しては、元嫁に非があると感じています。破格の4000万円の養育費と慰謝料を払わせておいて、子供との面会をさせないとは、理解に苦しみます。少なくとも、離婚合意書に書かれていることを破ることは法律絵的にも人道的にも非難されるべきです。正直、法的手段を考えましたが、日本の法律の不備や子供たちのことを考え、私の方が折れました。
この事実だけでも、離婚したことは正解であったと感じていますし、元妻の私に対する離婚後の仕打ちは、納得できるものでなかったと認識をしております。ただ、もう元妻とは他人なので、その辺は割り切っています。他人である元嫁を非難するのは時間の無駄であり、子供たちの幸せを考えることが何倍、何十倍、いや何千倍も重要であると思っています。
内容
なぜ4000万円も支払ったのか?
一言で言えば、別れた子供たち二人のためです。
離婚して一番迷惑をかけるのは、子供達です。特に経済的理由で困窮することになると、ちゃんとした教育を受けさせてあげることもできません。私が、直接会って愛情を注げない罪滅ぼしとして、せめて十分な経済的支援はしたかったのです。子供には何の罪もありませんから。
一括してこれだけのお金を払っておけば、私立中学、高校に行くことも経済的に十分可能なので、私もかなり無理をしました。実際に、二人の子供に、私立中学校、高校に入れて、教育を受けさせてくれた元妻には心から感謝しています。長男は、家内と私の母校の同じ学部に、現役で合格し、楽しい大学生活を送っていると聞いています。本当に良かったです。私が子供に残せる一番の財産と言えば、教育しかないと思っています。なので、元嫁の教育方針に心から感謝しています。そして、長男も次男も非常に頑張って、それなりの学校に入学してくれたことを誇りに思っています。
今まで会えていないと言え、血のつながった我が子が立派に成長にしてくれることは、心から嬉しいです。大したオヤジではないけれども、今後息子達が、私なんかを余裕で越えて、立派な社会人となってくれることを心から願っております。このように、長男と次男という宝物を得て、私の子孫として繁栄していってくれるだけでも、元妻と結婚した介があったと心から思っております。
もちろん嫁にも迷惑をかけたと反省したためです。
アメリカという慣れない土地で、かつ業績を出さないといけにプレッシャーに晒されたため、妻には非常に迷惑をかけたことは認識しました。
そのため、妻にはかなりのサポートをしていただいていました。その割に、妻や子供たちにプレッシャーのため優しくできなかったとの後悔が沢山ありました。私は、自分の実力以上に背伸びをして、アカデミア(大学関係)で心身を削りながら仕事をしていたので、企業への転職を考え実行しました。企業に就職したことにより、事業所閉鎖によるリストラで、割増退職金でかなりのお金が私の懐に入ってきました。
罪滅ぼしのため、そのお金は全額、前妻に渡しました。それ以外にもかなりのお金を払うことにしました。結局、合計4000万円も支払いました。正直、破格の金額です。そのため、完全に私は一文無しになりました。
「子供達と私の一生分の面倒をみて欲しい。」というようなことを言われたこともあり、その当時で、私ができうる最大限の金額を払いました。
40歳で無一文
4000万円も調子に乗って支払ったため、実の親からかなりの借金をしました。結局返せなかった(額が大きすぎた)ですが、私は一人子だったので、兄弟から非難されるということはありませんでした。その代わり、本当に無一文になりました。しかし、全く絶望はしていませんでした。また、ゼロから始めたら良いと思っていました。
ただ、お金のなかったのはきつかったですね。幸い、大手内資系企業に就職ができ、給料も上がったので、問題なく生活していくことができました。離婚したことで、会社の独身寮に入ることができ、生活費を抑えることができたので、徐々に貯金をすることができたのは、有難かったです。
亡くなった私の父から言われていたことは、
私の親父は、昭和の考え方と、結婚無用論の進歩的な考え方をする不思議な人物でした。
離婚時に、すべてのお金を別れる妻に払うという英断(?)をしたので、私の親父も草葉の陰で喜んでくれているのではと思っています。
それでも再婚できた
無一文になったらある意味、怖いものがなくなりました。今が底辺なので、後は上がるのみだとの前向きな気持ちになりました。それにしても、スッカラカンになったにも関わらず、再婚をしようとする自分自身には少しあきれ返りました。逆に、無くすものが何もないので、再婚相手を見つけようと思ったのです。財産を持ったお金持ちは、やはり結婚するときには、愛情ではなくて、お金目当てではないかという心配があるのは、想像に難くないです。でも、私の場合は、全くお金がないので、その心配がありませんでした。何の自慢にもなりませんが、その点の懸念はないことが、前向きに再婚を考えられた一因でもあります。
逆に、無一文だと、再婚に関しては、貯金がないことは言いませんでした。いや、正直言えないですね。婚活をしていて、私の貯金額を聞くような女性はいませんでしたが、、、。年収はもちろん、プロフィールに書いていたので、それで判断してくれたようです。あと、必ずお会いした時には、勤めている会社の名刺を渡すようにしました。誰もが知っている国内大手企業だったので、私の貯金額に関して聞かなくても、それなりの額は貯金していると想像したのかもしれません。
結婚しようとしている男性の貯金額は絶対に把握していた方がいいですよ!
それなりの年収があるのに貯金が少なければ、何らかの理由があるはずです。そこから、ギャンブル好きとか新興宗教にはまっているとか、色々な情報を得ることができますので。
私は離婚して、4000万円もの慰謝料と養育費を払った言っていました(事実だから)。なので、逆に再婚相手からは、この人と離婚することになっても、ちゃんと慰謝料と養育費は破格に払ってくれると思われたのかもしれません。このように無一文の状況が、再婚において大きな強みになったのかもしれません。
正に、「禍福はあざなえる縄の如し」です。
禍福は糾える縄の如し(かふくはあざなえるなわのごとし」とは、人生をより合わさった縄にたとえて、幸福と不幸は変転するものだという意味の故事成語です。
不幸を嘆いていると、いつの間にか幸福となり、幸福を喜んでいると、また不幸になる、ちょうどそれは「より合わせた縄のように表裏が交互にやってくる」ということを表しています。
出典:TRANS.Biz
神様は見てくれている(リストラ離婚されても)
40歳の時に無一文になっても、何とか生きていけていますし、世間的に見ても貧乏な部類には入っていません。もちろん金持ちの部類には逆立ちしても入れませんが、それなりに生活できて、再婚もできたので本当に幸せです。
今、元妻に対しては、長男や次男を良く育ててくれたとへの感謝の気持ちしかありません。
離婚直後は、腹も立ったりしていましたが、その後は何も感じなくなりました。というか感じないようにしました。元嫁に対して、怒ったり、憎んだりしていることは、愛情の裏返しです。自分自身が元嫁に対して、愛情を感じなくなったら、怒ったり、憎んだりしなくなります。他人なので、どうでもいい存在なのです。私はそれを強く意識しました。元嫁に対して、ニュートラルな状況を保つようにしたら、怒りや憎しみは全く消え、感謝できるようになりました。
綺麗ごとではなく、本当にそうなりました。元妻は他人なので、他人期待しても仕方ありません。私の子供を彼女なりに精一杯育ててくれるだけで、十分ではないでしょうか?離婚合意書に反して、子供たちに面会できないことに関しては、思うところがあります。ただ意固地になって、無理に私と子供たちが面会しても、元妻の態度がああだといい影響を及ぼさないと思い、受け入れました。
元妻は実質上再婚しているのですが(籍は入れていない)、それに関して、本当に祝福できるかどうかが、離婚するときには一番重要なことになります。それに関してはまた、別の記事で詳細に書かせていただきます。
私は離婚して、幸せになりました。元妻も私と離婚して幸せになっていると思っています。結局、神様は離婚したとしても、元旦那と元妻が、それぞれ必死に幸せを求めて生きていたら、幸せをもたらしてくれるということが、今回の経験から良く理解でしました。世の中、捨てたもんじゃないです!
その後、離婚から立ち直りました。
中高年 リストラ離婚 - リストラ離婚から立ち直る方法
中高年で離婚すると、精神的に落ち込んで鬱になることがあります。私の場合は、リストラで職を失った時に、離婚を告げられたので、なおさらでした。しかし、気持ちの持ちようで、大きなダメージを受けずに立ち直ることも十分に可能です。私が、どのように精神的にも離婚から立ち直ったかを、経験に基づいてお話したいと思います。
すべての人が、私が実践した方法で精神的にも離婚から立ち直るかと言えば、そんなことは全くないでしょう。千差万別、自分に合った方法を試すのが一番だと思います。しかし、自分で立ち直って見せるという気概を持たなければ、絶対に精神的にも離婚から立ち直ることはできません。他人は助けてくれないのです。あなた自身がしっかりと立ち上がらなければ何も解決しません。
他人事のように思う
私が、リストラ失職と離婚を同時に言い渡された時は、現実のこととは思えませんでした。どこか、そんなことが現実に私に降りかかるはずがないと思っていました。そして、その思いを利用して、他人事のように考えることに敢えてしました。自分のこととしてとらえれば、「ちゃんと生きてきたのに、なんで俺だけにこんなことが起こるんだ!あり得ない!」と怒り狂っていたかもしれません。
しかし、こんなことは私に起こるはずがないと心のどこかで思っていたため、悪い冗談のように感じていました。
「リストラで失職して、一番奥さんに助けてもらわないといけない時に、奥さんから離婚を言い渡される?」
「ちょっと、ドラマとしても、あまりにもありきたりすぎてあり得なくないか?」
「ドラマでももっと現実っぱく作らないと、いかにも創作しています感がぬぐえないぞ。」
と漠然と思ったりしていました。しかし、
「リストラされて奥さんに助けを求めたら、逆に離婚の要求を受けて返り討ちにあうとは、マヌケもいいところだな。」
「今までの結婚生活で、よっぽど奥さんから嫌われていたのかな?」
と推察したりしていました。他人事だと、結構、冷静にかつ客観的に判断できます。
とすると、
「離婚を引き留めても、難しいかな。この場合だと、離婚は受け入れて、ちゃんとした就職先を見つけるのが一番得策な方法だな。」
「その時、めちゃくちゃ破格の慰謝料と養育費を払えばカッコいいじゃん。ドラマとしては、良い人になるよね。」
という風に考えて、テレビドラマと考えれば、どのように振舞うのが、物語的にも面白く、このダメな旦那の面目が立つかを考えていました。すると、
「良いところに就職して、素敵な女性と再婚すれば、全然いいんじゃない。全く、ダメな旦那じゃなくなるじゃん。」
「逆に、ウジウジして、「ひどいよ。ひどいよ。」と泣き言を嫁さんや世間に言っていたら、目も当てられない旦那やな。仕事も嫁も無くして当然やと思うな。」
と本能的にも感じました。
じゃ、やることは早いですよね。さっさと離婚して、できるだけの養育費と慰謝料を上げて、良い会社に再就職して、素敵な人と再婚する。これで決まりだと思い、そのように行動しました。
自分自身のことだと思っていたら、そんなに早く冷静な判断も素早い行動も絶対に取れなかったと思います。しかし、あまりにもショックで現実離れするほど悲惨だったので、自分のことだとは受け入れませんでした。マジで他人のことのように感じ、冷静に一番ベストな判断に基づいた行動ができたと思っています。
世間は自分のことなんか気にしていない
もちろん、他人事のように思っていても、実際には自分自身に降りかかったことなので、その事実は変えることができません。ただ、そのことで、周りにどう思われるとか、かっこ悪いとかは、極力考えないようにしました。
所詮世間は、私自身のことなんて気にもしていません。大した存在でもないのです。逆に、私にとっても世間なんか大した存在ではありません。何をしてくれるわけではないので。
高校時代の同級生からは、「そこまであけすけに語って、前向きに生きているお前はすごい。逆に尊敬するわ。」と言われる始末です。
このように、世間に対して戦々恐々とせずに、真っ向から正直に向かっていくと、思いのほか居心地が良かったりしました。
人生は所詮なるようにしかならない
私は、正直開き直るしかありませんでした。まさに、人生は所詮なるようにしかならないのです。あがいても現状が良くならないなら、あがかずじっとしておいた方がいいのです。じっとしていても何も変わらないので、現状を良くするための行動をするのが一番です。その行動によって、更なるドツボにはまったとしてもそれはそれです。良い経験になったと笑い飛ばせば、それでおしまいです。命まではとられません。
「人生は、悪い冗談の連続である。」という結構ネガティブなことわざが、私は好きだったりします。なので、上手く行かない時は、お祓いでもしてもらって、心機一転自分が信じることを、迷わずにやれば良いと思います。
順番に
1)事業所閉鎖に伴う失職による転職活動
2)離婚の手続き(子供の親権、養育費等の諸々の取り決めを含む)
3)転職が成功し、離婚した後の再婚のための婚活
を淡々と進めました。色々と思ったり、落ち込んだりすることはありましたが、それで立ち止まるのは違うので、仕事と割り切っって進めていました。後から振りかえれば、立ち止まらずに、このように迅速に動いたことが、幸せを運んでくる結果に繋がりました。
リストラ離婚から本当に立ち直るのは再婚しかない
離婚して家族がなくなって一人で暮らすのは、やはり寂しいものです。特に私には、その当時二人の小学校低学年と保育園の子供がいたので、急にぽつんと一人きりになったと心理的に感じざる負えませんでした。
賑やかな家庭から切り離されて、孤独感を感じると、やはりそばに人がいて欲しいとどうしても思ってしまいます。もう離婚に懲りて、一生一人で暮らしていく方が気楽なのは確かです。
再婚をしようとなぜ決意したか?
1) このまま一人でいると、どうしても前の家族のことにこだわってしまい、離婚の痛手から立ち直れない。
2) 失恋の痛手から立ち上がるためには、結局新しい恋をすることであると同様に、離婚の痛手から立ち上がるには、やはり再婚しかないと感じたこと。
3) 私は一人っ子だったので、兄弟はいないので、このまま一人で暮らしていくと、孤独死するという恐怖があったこと。
4) 実は、再婚は無理なのではないかと考えていたので、1年間だけ必死に婚活して、ダメだったら、1人で生きていくという選択肢を真剣に考えないといけないと感じていたため。
結局、再婚のための婚活をしてみると、楽しかったです。やはり、再婚と言っても、恋愛をして、好きな女性と結婚するということにおいては、初婚と全く変わりありません。下記の記事にあるように色々な女性とお会いすることは、今考えると本当に楽しかったです。世の中には、色々な方がいらっしゃるんだなと認識しました。
ただ、婚活中は、良い相手を見つけようとある意味必死だったので、それほど楽しめていなかったかもしれません。直接お会いして色々とお話してみて、やっぱり自分とは合わないと感じると、落ち込んだりしました。例え再婚に繋がらなくとも、その出会いを大切にして楽しむということは全くできていなかったと思います。当たり前ですが、結婚相手として相応しいか?何か懸念点はないか?という観点からじっくり観察していました。もちろん、相手もその観点から観察していたと思います。ある意味いびつな感じの出会いです。
初婚の時は、同じ研究室の先輩と後輩だったので、自然な感じで付き合いが始まり、結婚に至ったので、結婚相手としてもゴールを設定して、付き合い始めたわけではなかったのです。
自然な流れでの結婚に失敗したので、再婚の時は、結婚をゴールに見据えた婚活が相応しいのではと思い、必死で頑張りました。
なんと、再婚のための婚活をしていると、離婚の痛手も薄らいでいきました。良い再婚相手を探すのに時間の大半を使っていたので、離婚したことをウジウジと考えている暇がなかったのです。それと、新しい恋の出会いにワクワクしていたのも事実です。
人間は都合の良い生き物です。次に、または、新しい人に、大きな期待を寄せてしまうものです。だから前に進んでいける、希望を持っていけるのかもしれません。
私の場合は、再婚のための婚活を本活的に始めた時点で、離婚からの痛手から立ち直ることができました。最終的に、再婚に繋がったので、やはり婚活だけでなく、再婚という結果を残さないと、離婚の痛手から立ち上がれないのが事実かもしれません。
皆さんも、離婚の痛手から立ち上がるためにも、新しい恋を見つけられることをお勧めします。もういい年だからとは思わないで、中高年限定のマッチングアプリ等を駆使して、新しい恋に、是非踏み出してください。
転職活動を成功させて大手内資メーカーに転職。転職活動を成功させた経緯は、
40歳 リストラ転職 ― とうとう成功!
やっと漕ぎつけた面接での不合格を受けて、意気消沈していた私がいました。しかし、中高年が転職活動で足踏みしているのは致命的な結果をもたらします。兎に角、なりふり構わずに、転職活動をする必要があります。
今までのように必死に転職活動することに加えて、ありとあらゆる知り合いを通じて、転職活動を成功させようとしました。恥ずかしいなんて言っている余裕はありませんでした。そして、この知り合い作戦によって、とうとう成功を掴むことになりました!
強い味方現れる!
30社以上も応募書類を出し続けて一向に「面接にきてください」との返事が5か月間も、もらえないという苦しい時期を過ごすことになりました。そして、面接に呼ばれた会社でも、私の致命的なミスにより、内定を逃すことになりました。その時の経緯は下記にあります。
知り合いによる推薦が転職における秘訣であることを心に刻み込んで、恥を忍んで色々な方にアプローチしていました。その中で一番の決め手となったのが、妻(その当時)の会社の上司でした。その上司がヘッドハンティングで、私が第一希望をしている大手内資企業に部長として転職されたのです。今の会社に入社する前に、その大手内資企業に応募をしていましたが、書類選考で落とされていました。
離婚を言いわたされたものの、家内は私のために、その上司に話をつけてくれていました。なんと個人的に喫茶店で会うことをセットアップしてくれました。会う前に、私の履歴書と職務経歴書は渡していただいていました。もちろん、そんなことが可能だったのは、妻がとても優秀で社内でも業績を上げていて、ヘッドハンティングされた上司にも一目置かれていたからです。
本当に有難いことです。妻には心から感謝しました。そういう意味では、当時の妻も私を憎んで別れたのではなく、別れる選択肢しかなかったのが事実なのかもしれません。
喫茶店で、妻を含めて1時間ほど雑談させていただきました。その際に、8か月前に応募して不採用になったことも包み隠さず話しました。すると、その上司は、
と言ってくださいました。
後から妻に聞くと、私の人柄を判断していたそうで、問題なかったから、応募を進めてきてくれたとのことです。
「私の経歴と業績なら大学関係ならそれなりのポジジョンに着けるのに、なぜ敢えて企業に行くのだろう。
大学関係でもやっていけない変な性格の人で、人柄的に問題があるのではないか?」
「40歳の転職の場合、半年程度前に不採用になったところに、再応募しても可能性はゼロである。」というのが転職エージェント、再就職支援会社の常識です。時間の無駄だからやめろと言われました。
それが、「転職しようとする会社に勤めている知り合いの推薦が決め手」の理論によって完全に覆されました。
転職しようとする会社に勤めている知り合いの推薦が決め手
成功した面接
一次面接を得意の業績プレゼンで突破
再度、応募書類を出してから3か月後に1次面接に呼ばれました。しかもその面接は、私の今までの業績をスライドで15分ぐらいプレゼンするというものでした。もう、社外シンポジュウム等で何度もプレゼンしています。プレゼン内容に関しては名だたる業界誌で受理されたものであるので、絶対的な自信がありました。
その面接には、公平を期すためにわざとその部長さん(妻の元上司)は出席されませんでした。が、書類選考で強く推薦してくれたことは想像に難くなかったです。
ダイエットの効果も少し出てきている頃で、面接対策の身だしなみもちゃんと気を付けました。
そして、有難いことに、一次面接のプレゼン後に確かな手ごたえを感じました。
ペットボトルの水
1次面接から3週間ぐらい経ってから、2次面接に呼ばれました。そして、これが最終面接でした。事業を統括している取締役本部長と人事部長の前での面接でした。いわゆる人柄を見る面接です。
面接の前に、秘書さんから控室に通されました。その際に、雑談で、
1)約半年前に書類選考で落ちけど、やっと最終面接にこぎつけたこと。
2)雑誌の対談での本部長さんの記事等はできるだけ読んできたこと。
3)どうしてもこの会社に入社したいこと。
を伝えました。
と頼みました。正に背水の陣です。1社目の面談の失敗のトラウマのため、すごく緊張していました。
すると、
とやさしい言葉をいただき、控室にあった冷蔵庫のペットボトルの水をだしていただきました。その際に、
と言われました。この言葉のお陰て、落ち着いて最終面接に臨むことができ見事内定を獲得しました。
あとから聞いた話では、その秘書さんはその取締本部長と仲が良く、最終面接者の印象についても意見が求められたりするとのことでした。正直、私は全く想定していなかったです。
私は正直最終面接では、緊張してあまり話せなかったかもしれません。しかし、この秘書さんとの雑談のお陰で、私のコミュニケーションの力を高く評価してもらうことができたのかもしれません。それが、最終的な採用につながったのではないかと、今振り返ると感じます。面接では、何が功を制するかわかりません。最終面接の日は、家を出た習慣から面接が始まっており、家に帰宅して部屋に入ってやっと面背が終わるのだという意識を持たれることをお勧めいたします。
控室に案内してくれる秘書さんも面接官だと思って接することをお勧めいたします。
念願の内定をもらう (あっけない印象)
採取面接後、1週間後に人事から電話があり、「内定が出ましたので、入社されますか?」と聞かれました。何の迷いもなく、即答で入社しますと答えました。その当時は、ここで躊躇すると入社取り消しもありうるらしかったです。それから、数日して。人事部長の名前で内定通知書が来ましたが
「貴殿に置かれましては、20○○年〇月1日付入社内定とさせtいただきたく、ここにご通知申し上げます。」
とだけ書かれていました。
今までいた大手外資系会社では、内定の際に給料や諸条件が記載されていましたが、全く記載されておらず、交渉の余地すらなかったという印象です。
その当時は、この会社は、転職エージェントからの応募も受け付けておらず、「転職エージェントなど通さずとも、わが社には応募が殺到する。わが社に入社できることはステータスだ。」というような前近代的な自負があったんだろうと想像しています。今では、そんな悪習慣もなくなり、転職エージェントを通じての採用が主流になっているとんことです。
実は、私は再就職が決まらないのでかなり追い詰められて、給料が半分になっても転職したいと思っていました。なので、入社条件には無頓着でした。
入社してみて、転職前よりも給料は上がっていて、福利厚生は抜群なことを知りました。
「やっぱ大手内資系会社はすごいわ。」と感謝したものです。もう、一生この会社で働いていこう。と強く決意したのもこの時です。人生の勝ち組になったような気分でした。しかし、人生とは皮肉なもので、10年後の50歳で再び、実質上の事業所閉鎖で職を失うことになるのです><
転職活動も成功裏に終わってみればあっけなかったと言うことはできますが、その家庭は本当に大変でした。最後は、やはり人との繋がりによって、職が運ばれてくることを実感しました。
リストラ後の転職で内定をいただいた時は、涙が出るほど嬉しくて、心から感謝しました。
中高年の転職成功の秘訣
転職しようとする会社に勤めている部長以上の知り合いの推薦は、非常に強力である
実際に、この効力を私は何度も経験しているので、まず間違いないでしょう!
改めて自己紹介 その1 ー リストラ離婚 中高年リーマン
リストラ離婚 中高年リーマン
大手外資メーカーの事業所閉鎖のため、40歳でリストラと同時に結婚12年目の妻に離婚を言い渡されました。違約退職金と親からの借金で、4000万円を即金で妻に支払い、無一文になり、絶望しました>< 周りからは、馬鹿だと言われました!
リストラの経緯は
中高年 リストラ失業 - 青天の霹靂
十数年も前のことなのに、昨日のことのように覚えていることがあります。それは、生まれて初めて、リストラ失業を言い渡された日です。入社して2週間以内、配属先の事業所に着任して2日目だったので、本当に考ええもいなかったです。正に想定外で、青天の霹靂としか言いようがありませんでした。
民間の外資系企業に転職した経緯
私は、長い間、大学関係の研究機関に勤めていました。大学関係の研究機関と言うと、個人が好きな研究を好きなようにする趣味の延長上の気楽な場所との印象がある方もいるかもしれません。が、実態は全く違います。完全なブラック企業のようなところです。
1)好きな研究などできない。予算のつく研究しかできない。
2)長時間労働で、安月給である。土日でも働かされる。残業手当はない。(私は、睡眠時間を削って働けと言われた。)
3)教授に逆らったら生きていけない。独裁体制の機関。「教授がカラスは白いと言ったら、白いと言わなければならない」白い巨塔の映画そのものの場所。
4)教授になれなければ、一生下働きで、現代版の奴隷のような生活を強いられる。
5)教授になっても、ものすごい量の職務があり、業績を出せというプレッシャーにいつもさらされる。
大学関係の研究機関に勤めている時は、「先生、先生」とチヤホヤされますが、心をすり減らすほどの凄いプレッシャーの下、安月給と長時間労働を強いられます。正直、私の場合は幸せな人生ではなかったです。
民間企業では本当に歯車の一つです。自分の業績を出すのは非常に難しいです。その代わり、まともな労働時間が保証され、給料もかなり良くなります。私としては、その当時幸せを感じることのできなかった大学関係の研究機関を去ることにしました。そして、自分の将来の人生設計を踏まえ、民間企業に転職することにしました。この決断は今も間違っていなかったと感じています。私の人生の中で下した決断の中で、一番素晴らしいものだったと今も思っています。
人生には「まさか」がある
一流の大企業に勤めていて、順調に出世街道を走っている方は、リストラされるなんて自分には関係ない話だと確信しているはずです。それよりも、「なんであのできない同僚が俺と同じ地位なんだ。もっと、もっと俺が評価して貰えないと困るよ。悪平等主義がはびこっているんじゃないか?俺がいないとこの会社は回らないからな!」と愚痴をこぼしているかもしれません。私も調子に乗っていた時は、これに近いことを思っていて、いまは猛烈に反省しています。
やっと大学関係の研究所から足を洗うことができて、民間企業に入れたことを心から喜んでいました。まさか入社後2週間で、事業所に配属されて実質2日間で、自分自身がリストラの対象になって、職を失うことになるなんて、夢にも思いませんでした。本当に想定外でした!これが人生で言う「上り坂、下り坂以外のまさか」というものかと愕然としたのを、昨日のことのように覚えています。
「まさか」は政治家だけの話ではなかったのです。いくらあなたが優秀なサラリーマンでも、入社して2週間しか経っていなくても、身に降りかかってくることは十分考えられます。
私の場合は、39歳で転職してすぐでした。東京本社の研修を終えて、事業所に帰ってきた次の日、いきなり統括本部長室に、同じく最近転職してきたアラサーの女性とともに呼ばれました。
「なんだろう?」と思っていたら、その女性曰く、
と大きな笑顔を私に向けてくれました。
私は、その女性とともに、期待に胸を膨らませて、意気揚々とまだ入ったこともない統括本部長室に向かいました。
「入社早々ついているな!大仕事なら、頑張って精一杯働くぞ~~~」
リストラを言い渡される
統括本部長室で、
と入ったあと、
と、にこやかに雑談をしました。結構雑談をしてくるので、怪訝に思っていると、
私は、他人事のように、ドラマを見ているような感じで、ぼっとしていた記憶があります。
と、同僚女性はかなり取り乱していました。
次の日にになると、朝一番でタウンホールミーティングが招集されました。
「出社している従業員の皆さんは、大講堂に至急お集まりください。
最優先です。今している業務は中断して、最優先で、至急お集まりください。」
そこで、事業所が年内に完全閉鎖されることがアナウンスされました。米国本社からも同様に、報道機関に向けて、同じアナウンスがされました。
会場は、最初は「シーン」としていましたが、事業所の完全閉鎖により、自分たちの職が無くなることがが分かると、それこそ、てんやわんやで、泣き出す従業員がいて、職場の雰囲気が一気に変わりました。
事業所の全従業員の雇用に関しては、全力を尽くすと言われたものの、「社内で別の職種の仕事を探すか、割増退職金を貰って、外で仕事を探すかしか道残されていない。」という、はっきりとしたメッセージでした。
1)私が入社するときには、事業所の閉鎖が決まっていたのに、箝口令が敷かれていたため、採用はそのまま進んだんだ。
2)それにしても、入社して2週間で事業所閉鎖のリストラでクビになるなんて、予想もしなかった。
3)人生って、本当にこんな嘘みたいなことが起こるんだ!(その時は、妻から離婚を言い渡されることは、もっと想像していなかったのです。そういう意味では、まだ私の心の平和は保たれていました。)
どこか他人事のような気持ちで、タウンホールでの事業所の完全閉鎖の話を聞いていました。本当に、人生に起こる「まさか」だけは、備えようがないんだということを実感した瞬間でした。
今から振り返れば、このようにちゃんと事業所閉鎖を宣言して、社員に対して手厚い(?)サポートをしてくれるこの会社には感謝しかありません。その時は結構ひどい会社だと思いましたが。
その後、50歳で私の首を実質切った内資の大手一流企業は、本当に本当に回りくどいやり方で、腹立たしさを強く感じました。真綿で首を絞めて、従業員が自ら会社をやめていくように仕向けるといった、本当に汚いやり方でした。その点、外資系のこの会社の方が、誠実で、社員想いだったと今になるとわかります。
兎に角、民家企業へ転職することにした。
民間企業の不安定さを目の当たりにしました。今回の事業所の完全閉鎖は、「私に大学関係の研究機関に留まるようにとの神様のメッセージかも」という考えが、頭によぎりました。実際に、大学関係の研究職に戻ってこないかという誘いも受けました。この誘いに乗れば、次の職を本当に簡単に見つけることができます。なので、一瞬ではありますが、心が動いたことも事実です!
しかし、ここで大学関係の研究機関に戻ってしまえば、またブラック企業のような環境で働くことになります。やっと39歳になって、清水の舞台から飛び降りる気持ちで、民間企業に行く決意をしたのです。ここで、引き返したら絶対に人生で大きな後悔をすることになると、本能で感じていました。
そのため、わずか数カ月で、また次の民間企業への転職活動に、背水の陣で臨むことにしました。その過程で、離婚によって家族を失うというとんでもない悲劇が起こったことも事実です。しかし、それにも増して、民間企業で働くことに、残りの人生を賭けるという気持ちは、ブレませんでした。
今にして思えば、困難な状況でしたが、ブレずに最高の決断を貫いたと思っています。
皆さんも人生において「まさか」のような状況に見舞われることもあるかもしれませんが、その状況に惑わされることなく、自分の気持ちに正直に生きることをお勧めいたします。易きに流れるのではなく、死にたくなるほど困難であっても、自分の望む道を歩いて行くことが、結局はベストなんです。このことは、私の体験から自信を持って言えます。
皆さんも、私のブログを読むことによって、「まさか」の中高年でのリストラ失業に打ち勝って、自分の望む道を進んでいくという気概を心の奥底に持っていただければ幸いです。それだけで、私がブログを書く目的が達成されたことになります。
離婚を言い渡された経緯は、
中高年 リストラ失業で家族離散
中高年でリストラされても次の仕事を見つければ問題ないじゃないか?と思うかもしれませんが、現実はそんなに甘くありませんでした。少なくとも私の場合は、仕事を失うと同時に、家族も失ってしまいました!
中高年でリストラされたことがきっかけとなって、今までの夫婦関係での不満が爆発することがあります。なんと私の場合は、事業所閉鎖によるリストラで、妻の今までの不満が爆発し、兎に角。離婚して欲しいの一点張りでした。まさか、自分がリストラに遭うとも思っていなかったし、同時に妻から離婚を言い渡されるなんでも、夢にも思っていませんでしたなので、あまりにもショック過ぎで、現実として受け入れられませんでした。他人事のように捉えて、自分自身の精神の安定を保つのがやっとでした。
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離婚を言い渡された経緯
なぜリストラで職を失った際に、離婚を言い渡されたのでしょうか?今だから振り返れますが、私が思うことを簡単にまとめると、
1) やはり今まで家庭生活がうまいこと行っておらず、家内に大きな不満があったのでしょう。このことを、私は心からは自覚していませんでした。
2) 「共働きなのに、家事をほとんどしない。」「短気である。」「妻の意見を尊重しない。」と言ったことを指摘された記憶があります。
3)妻、が当時それなりの理由をつけて子供たちを連れて別居していましたが、離婚を想定していたことに全く私は気付いていませんでした。
4)リストラされて自分自身のことにしか意識が及ばず、八つ当たりのように愚痴をこぼしたことで、最終的なトリガーが引かれ、愛想をつかされたと推測しています。
5)私が転職先として家内の住んでいる近くを選ぶと、同居することになり、それをどうしても避けたかったので、このタイミングになったのではないかと思っています。
その当時の妻も精一杯だったのかもしれません。
「旦那がリストラされ、てそのことで愚痴を言われて嫌気がさした。」
「同居しないといけないかもしれなくなった。」
このことで、もう別れたいと気持ちが爆発したのではないかと推察されます。基本的に、旦那がリストラされると、妻は必ずこれからのことを真剣に考えることになります。結婚生活は、子供が生まれて、日々の忙しさにかまけて、惰性に流されて過ぎていきます。なので、今までの生活に疑問を持たないで過ごしてきたが、リストラで今までの生活を振り返り、それを踏まえて今後の生活を見つめなおすことになります。この見つめ直す過程で、妻が旦那との離婚を決断することは十分にあります。私のケースがその典型例だと思います。
今だから考えれる妻の離婚宣言への対応
別居中に妻に好きな男性ができたが調べる
妻が男がいることを旦那に言うことはまずないですし、男性と違って、隠すのが非常に上手いです。別居して仕事をしている場合は、旦那が自分自身で、妻に別の男性がいることを確かめることは不可能です。この場合は、費用はかかりますが、探偵を使うことをお勧めします。男のために、旦那と別れようとしている場合は、1か月調査してもらえば、必ず尻尾を出しますので、調査してもらうことをお勧めします。
この時に、妻に男がいることを疑っていると悟られては、絶対にいけません。
「気持ちを整理するために、少し考えさせてくれ。」と言って、落ち込んだふりをしておきましょう。ふりなんかしなくても、実際にめちゃくちゃ私は落ち込みましたので、自然体でいれば大丈夫です。
今まで喧嘩しても、「一度も離婚して」と言われなかったのが、初めて言われて、びっくりして謝っても、
「あなたと離婚することを覆すことはないです。あなたが離婚を承認するまで、どんなに時間がかかっても、私はやり抜きます。」
と言われた場合、他に男がいる可能性は十分あると思います。なので、探偵を使って、はっきりとさせましょう。そうすることで、今後の展開がはっきりとします。
男がいた場合
この場合は、証拠と突き付けて、妻の両親にも自分の両親にも事実を伝えて、今後の話し合いをすることになります。
好きになった別の男の存在が、離婚したい最大の理由なので、妻が自分に言ってきたダメ出し「家事をしない、短気、尊重しない」は、真剣に受け取る必要はありません。ある意味、そのダメ出しの不満のために、他の男に目が行ったことは否めないかもしれませんが、それ以上に妻の行動には問題があるとしか言いようがありません。
ただ冷静になってください。例え、浮気したことが公に裁判で認められて慰謝料を貰えたとしても、子供の親権は、それでも母親に行くのが日本の法律の凄いところです。なので、離婚しても、子供の親権を獲得できないことは、心に刻んでおきましょう。
男がいなかった場合
この場合は、時間をおいて妻に冷静になってもらって、今後の対応を話し合うのがベストです。「どんなことがあっても離婚したい。」と私の場合は言われたので、離婚を回避することは難しいかもしれません。
しかし、短絡的に結論を出すのではなく、じっくり時間を取って妻と話し合い、少なくとも妻が離婚したい本当の理由を探し出して、自分である程度納得することが必要です。それは、妻のためであると同時に、自分自身のためでもあります。離婚後、自分自身が歩き出すためには、本当の離婚の原因を自分自身で消化して、今後再婚するかどうかも含めて、結論を出すのが理想です。本当に運が良ければ、この話し合いの過程で、離婚が回避されることもあるかもしれません。
旦那に愛想を尽かしていた時
例え旦那に愛想を尽かしていたとしても、初めて離婚を告げた際に、「離婚という結論は変えない。」と一方的に言うのは、どうかと思います。少なくとも、
「このままの状況では、離婚を考えているので、あなたには、これらを改善して欲しい。」
「改善できないようなら、夫婦を続けることは私にとっては、本当に不幸なので、離婚することを同意して欲しい。」
というのがあるべき姿だと感じています。私は
1)借金(生活費を入れないを含む)
2)暴力
3)浮気や風俗
4)アルコールや薬物依存
などの一発アウトの離婚原因を作ってはいないので、一方に不可逆の離婚宣言をされたのは、本当に寝耳に水で、そのショックと言ったら途方もなかったです。
妻から愛想を尽かされない態度
1)リストラされたことを家内には全く言わずに、新しい転職先あるいは社内の転部先を見つけてから話す。特に、単身赴任等で別居していて、家内が情報を耳にすることがない場場合はこれが一番効果的かもしれません。
→ しかし、一番つらい時期に相談をできないような妻といる意義を私は感じないので、たとえ離婚が回避できることが分かっていたとしても、私はこの態度は取らなかったと思います。
2)同居していて、周りに会社関係の奥様方から家内に情報が入ってくる場合は、事実だけを淡々と話し、会社内での他の部署に行ける可能性があることや、割増退職金の具体的な額を話し、全然大丈夫だという風にどっしり構える。
→ この態度が私には一番しっくりきます。別居していた私の場合でも、この態度を取れば離婚が回避できたと感じます。(今になってみると、回避できなくて良かったと思っています。その理由は、下記に示しますね。)
妻の離婚宣言への私の実際の対応
結論から言えば、リストラされてこれから職を見つけないといけないとき、家内から離婚を言い渡されたので、抵抗することなく離婚に同意しました。しかも、割増退職金ならびに親から借金して、養育費と慰謝料(?)として、4000万円を一括で支払いました!この詳しい経緯に関しては、下記の記事を見ればわかりますよ。
旦那が苦しい時に助けるどころか、傷口に塩を塗るような仕打ちをした妻に対して、心底嫌になったからです。
もちろん妻には妻の言い分があるので、私の言っていることが一方的に正しい訳ではありません。しかし、私は上記のように感じました。妻と争う気にもなれなかったのです。
1)今までの結婚生活は何だったのかと嘆かずにはいられませんでした。
2)妻に腹が立つよりも、そのような妻と結婚した自分自身に嫌気がさしていました。
3)感謝の意味も込めて、最後は妻の好きなようにさせてあげようと、もめることなく離婚しました。
私が期待していた家内の言動
お金のことは心配しないで、あなたが本当に望む職を探してね。
旦那にとって都合が良すぎると思われるかもしれませんが、あの素晴らしい妻ならこのような言葉をかけてくれると思っていました。それほど、私は妻を高く評価していました!
私の妻は、バリバリのキャリアウーマンで、給料も私より高かったです。リストラ対策として、キャリアウーマンと結婚して、リスクを分散するのは一つの考え方です。私もそれを心から信じて結婚してから、妻のキャリアを伸ばすことに協力していたと自負していました。(妻はそうは思っていなかったことが、離婚の時判明しました。)
なので、私の家庭では、私が職を無くしても、妻の給料だけで十二分にやっていける状況でした。ところが、妻は私との家庭生活を破棄して、自立する道を選んだのです。自分の馬鹿さ加減に気付いたのがこの時でした。あの素晴らしい妻は、母親のような大きな愛で私を包んでくれると心から思っていました。それが、音を立てて崩れたのです。いままで12年間の結婚生活で喧嘩しても、一度も離婚の文字が出なかったのに、この時に、一方的な不可逆な離婚宣言をされたのです。そのため、私も、もう離婚でいいとしか思えなかったです。
ちょうど良い機会だから、一緒に住めるように関西圏の企業に就職して
私は家族と離れて単身赴任で、働いていたので、今回の事業所閉鎖によるリストラで、家族のいる関西で職を見つけようと考えていました。なので、妻も「一緒に住むために関西の企業に就職して!」と言ってくれると期待していました。
結果は、一緒に住むどころか、別れたいでした。もう、泣きたいを通り越して、「悪夢や!なんでこうなん?」としか思えませんでした。人生には、「上り坂、下り坂以外に、まさか」があると言われていますが、この一方的な離婚宣言が私にとっての「まさか」でした。この仕打ちで、妻が私に愛情がないことを悟り、すぐに離婚することに同意しました。
私の想い
例え離婚を切り出すにしても、一度は永遠の愛を誓った二人なのだから、それなりの礼儀というものがあると今も信じています。
1)初めて離婚という言葉が出たのに、改善する機会やチャンスを与えずに一発レッドカードでアウトはあまりにもひどい。
2)事業所閉鎖によるリストラで、職を無くした一番使い時期に、一方的に離婚することしか考えてないと宣言するのは、よほど嫌いな相手にしかできない。
3)ある統計によると、失職+離婚を同時に経験した中高年サラリーマンの自殺率は50%近くになるそうです。なので、わざと同時に持ってくるのは、ある意味、私の死を望んでいたのかもしれないと邪推することになりました。
なので、妻と別れることに関して、何の迷いもありませんでした。自分が、なんで今まで結婚していたのかと落ち込んだぐらいでした。その当時は、妻を少しは恨んだりもしましたが、今はそんなことはありません。初めから合わなかったんだな、結婚すべきではなかったんだなと感じています。
妻に関しては、未だに凄い女性だとは思っています。私を私の母親のように包んでくれることはなかったのに、それを私が期待したのが一番いけなかったのだと思っています。
妻としては
1)リストラで失業しても、泣きついたり、愚痴を言っている旦那よりは、悠然と構えて「大丈夫だ!心配するな!」と自信たっぷりの旦那を期待していた。
2)当面、妻に食わしてもらえればいいと思って、弱音を吐きまくって愚痴を言いまくった旦那と、これからも結婚を継続していく気持ちが急に亡くなってしまった。
3)今までの蓄積されてきた不満を顧みて、離婚しかないと結論付けた。
ような状況があり、ビシッと離婚を宣言したんだと感じます。なので、妻が悪いとは思っていません。別れるようにして、別れたんだと思っています。
別居中に妻に好きな男性ができたかは調べなかった
妻とは別れましたが、私との婚姻中に別の男性をつくるような女性ではないと信じています。どちらかと言えば、私にはもったいない女性でした。なので、探偵を雇って浮気調査をすることはしませんでしたし、しようとも思いませんでした。
妻には感謝している部分も多々あったので、自分にとって良い離婚条件を手に入れるための浮気調査は意味がありませんでした。そんなお金を使うなら、子供たちの養育費に回した方がよほど健全であると思っていました。
例え、その時に妻に好きな男性がいたとしても、
1)結局は離婚します。
2)リストラ失業の時に、離婚を不退転の気持ちで要請してきた時点で、妻への信頼はなくなっています。なので、浮気男がいたとしても大勢に影響はしません。
3)子供たちのために、養育費は、自分の出来る範囲で最大限、一括で払おうと思っていたので、浮気調査の結果を盾にして、減額をしようとは考えていなかったのです。
なので、調べる必要はありませんでしたし、その選択が間違っていたとも、私は思っていません。
今も、あの当時、妻に別の男がいたとは全く個人的には思っていません。
まとめ
結局、妻と私がなぜ離婚したかを、誤解を恐れずにシンプルに言えば、
1)妻は、私への大きな不満があり、愛想を尽かして、一方的に強固な離婚宣言をした。
2)私は、旦那がリストラ失業した時に、追い打ちをかけるように、一切の猶予も与えずに離婚を強固に宣言する妻に幻滅し、離婚に同意した。
3)リストラによる失業は、あくまできっかけに過ぎない。離婚の原因では全くない。
4)お互いに別れるべくして別れて、金銭面や子供の親権等では全く揉めませんでした。非常にスムーズな離婚でした。
離婚の時に、子供達には、いつでも無制限に会わせると言っておきながら、結局この10年以上一度も会わせてもらっていないことは、倫理的もおかしいと思っています。4000万円という破格の養育費を払った元旦那の気持ちとしては、何とも言えないものがあります。このことには憤りを覚えていますが、「リストラで職を無くした時に、初めて離婚を切り出し、何の猶予も与えず離婚しかないと言い切った」女性なので、怒るだけ意味がないと、静観しております。
その理由は、私と妻が揉めて一番悲しむのは、結局は子供達だからです。戦略的静観です。幸いに、妻のお陰で、二人の子供たちが立派に成長しているようです。なので、そのことに関しては感謝しかありません。妻と私の一番の共通点で、共感できることは、「子供たちの幸せ」です。なので、結局は、子供達が幸せなら、それだけで十分ですし、元妻の貢献は素晴らしいと感謝しています。
リストラ失業がきっかけで、私は家族を失いました。そして、子供達とは10年以上会っていません。しかし、子供たちが幸せで、立派に育ってくれているので、それだけで十分です!
やりたい放題のトランプ
もう信じられへんな。あの老人は!
- 不正選挙と言い張って、大統領職に止まりつづけようとる。
- 1月6日に正式に大統領がバイデンになるのを阻止するために、自分の支持者に向かって、議会に行進して暴徒化するようアジる。
- 自分の支持者が、暴徒化して、議会に乱入して、5人もの人が死ぬと、俺は関係ない。初めから、暴力は反対だったという。
トランプは、いつも
1)嘘ばかりついいる。
2)都合の悪いことは、他人のせいで、都合のいいことはすべて自分のお陰だと主張しまくる。
3)3人もの美人の嫁さんがいた。
4)愛人もたくさんいた。
5)めちゃくちゃ豪華な家に住んでいる。
6)70歳になったらアメリカ大統領という名誉まで得た。
こんなやりたい放題の自己中心的な人間が、他の人からは考えられないような幸福な人生を歩んでいるなんて、神様は不公平だ。
結局、人は生まれた時点でその後の人生のほとんどが決まっている。日本も150年前までは、生まれがすべてであった。どんなに優秀でも生まれが悪ければ、将軍様にはなるのは不可能であった。知力、体力が劣っていても生まれが良ければ、将軍様だ!生類憐みの令を出した第5代将軍徳川綱吉などは、その典型的なバカ将軍である。
私は別にアンチトランプではない。次期大統領のバイデンにも期待などしていない。バイデンも自分のヤク中のバカ息子が、ロシアの企業の役員にさせるのだから、同じ穴のムジナである。
たたき上げの人は素晴らしいが、結局は名家や金持ちに生まれた人しかつかめないチャンスがある。私のような労働者クラスで、親父は高卒、母親は戦争で小学校卒だったものは、やはりトランプのそんな夢のような生活は送れない。
住むところがあって、飢えずに暮らしていけるだけで、私は十分満足しようと思う。こんな生活が送れていることに、神様に感謝している!!!
トランプ、バイデンや安倍晋三元首相のニュースを聞くたびに、私のような人間とは生きるところの違う超金持ちの優雅な人物の話なので、あほらしくてやってられない。アメリカの大統領を、トランプかバイデンかで、アメリカの庶民が必死になって選んでいるが、二人とも庶民とは程遠い王様のような生活をしている人たちである。私がアメリカ市民なら、どちらの応援もせず、冷ややかに見ているだろう。それよりも、自分の生活のために働くことで精一杯だと思う。
私は、貴族のような生活をしているトランプとバイデンの争いになどに興味を持たず、今の生活のために精一杯、地べたを這いつくばって、働いていくしかないのである。
次に生まれ変わるときは、トランプのような大金持ちに生まれて、好き放題やって生きてみたい。なんやかんや言って、やりたい放題のトランプが、たとえ罷免されることになっても、人生においては、べらぼうな勝ち組なのである。
皆さん、人のことは羨ましがらずに、地に足つけて、自分ができる範囲で、それなりに生きていきましょう~~~
クソ上司の理不尽な評価への対抗策
しっかり仕事をしたのにも関わらず、C評価だった場合の対策について述べます。
(A評価:昇給、B評価:現状維持、C評価:減給、D評価:降格(退職勧告))
2020年の私の評価はC評価でした。憤りで一杯です。直属の上司は、よく頑張ってくれたから、2020年はA評価も視野に入ってくるんじゃないかと言ってくれて、喜んでいたのもつかの間でした。
詳細は省きますが、新しく来た2つ上の2次上司に顰蹙を買ってしまったので、C評価を言われてしまい、直属の上司もその2次上司の意向に逆らえんかったとのことです。私に部下がいたときも、同じような体験をしました。最終的には2次上司が部下の評価を決める権限があります。
基本的に、会社の評価は相対評価なので、A評価、B評価、C評価、D評価の割合が決まっているので、その割り当てを2次評価者である統括部長が決めることになります。なので、直属の上司だけではなく、2次上司にも嫌われないことが一番です。
メールの遣り取りで誤解を受けたことが原因なので、どんなに忙しいい相手でも1on1でオンラインで話すようにすべきだったと今更ながら後悔しています。
今後の対応としては
1)気にしない
2)2次上司を嫌いにならない、仕返ししようと思わない。
3)どうせ、2次上司は2年も経てば別の上司に変わるので、相手にするだけ無駄です。外資系あるあるです。
4)更に、その2次上司から追い込みをかけられた際には、逃げ道を確保しておけば安心です。
(私の場合は、違う部署の30年来の友人である部長に、事情を話し、万が一の時は、すぐに異動できるようにお願いしています。)外資系では、受け入れる側さえOKすれば、異動できるシステムがあるので、このシステムを使って、とんでもない上司から逃避している人が何人もいます。
5)1次上司との関係はいいので、それをそのまま維持し、2次上司の理不尽な評価を受けた可哀そうな奴とのポジションを持っておけば問題ないです。
6)1次上司のことも、守ってくれなかったと絶対に恨んだりすることなく、評価してくれていると感謝することが大事です。
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人間なので、この2次上司のことは、ヘドがでるほど嫌いですが、それを思わないことが大事です。そんなことは忘れるのが一番。2次上司にもできるだけ親切に、大切に接し続けることを心がけています。どんな理不尽な扱いを受けても。それが外資系に勤めるサラリーマンの生き方です。
そんな生き方が嫌なら、自分で独立するか、別の会社に転職すればいいですが、独立したら本当に大変だし、別の会社に行っても同じことは絶対あるので、慣れた今の会社にいるのが正解だと思っています。
2次上司なので、直接接することはほとんどないので、そんなに苦痛ではないので、嫌なことは忘れて、その2次上司にも親切に対応すればいいだけのことです。これが一番です。
内資系企業よりも外資系企業が、上司との関係は絶対です。直属の上司と2次上司との関係は、絶対良くしましょう。ゴマすり上等、絶対口答えせず、上司のイエスマンになり、自尊心を捨てて生きていくのが、一番うまい外資系企業での処世術だと私は経験上思っています。外資系で偉くなっている私の上司達は、上司への絶対服従が徹底しています。
我慢しないといけない時もありますが、うまく波に乗る時もあるので、腐らずに前向きに生きていくのが一番です。
50代半ばのサラリーマンにとっては、会社で働けるだけでラッキー!リストラされないだけ末子という気持ちで、ケセラセラで生きて行きましょう。
私のような夢も希望もないヨレヨレサラリーマンに幸あれ!!!
GOD BLESS ME!!!
ブログで、自分の考えを纏めて、吐き出すだけでも、すっきりしますし、2次上司を恨まなくてもすみます!皆さんも是非、ブログに自分の想いをぶつけてみてください!!!
2021年3月をもって、ワードプレスのブログを完全閉鎖します!
ブログをやって、アフィリエイトやアドセンスで利益を出そうと、自分なりに8か月間も頑張りました。
結論として、
1銭も稼げないし、稼げる見込みもなく、ブログをやめます。
下記のemikiさんの記事が非常に参考になります。 emikiさん【ブログ運営3年のPV・収益】スケボーに乗った猫
emikiさんの作業量に比べれば私は何もしていないに等しいですが、一般人がブログで簡単に稼げるなんて、嘘だということがはっきりわかると思います。
ブログをやった後悔
1) もっと、早めに見切りをつければよかった。
2) 数少ない貴重な情報―「ブログは儲からない」にちゃんと耳を傾けるべきだった。
3) やる前から儲からないのに、騙されたとの気持ちで一杯。
4) 大切な莫大な時間を無駄にした!
ブログをやって良かったこと
1) 自分の情報を発信できた(ほとんどアクセスはないけど)。
2) うまい話に乗ると騙されることを実感した。
3) 世の中には、今も人を騙すことをいとわない輩がウヨウヨしていることが実感できました!
4) ブログの情報を鵜呑みにしないようになった。
自分が悪いんです。自分を責めるべき、人を責めるべきではない。
いい勉強になりました。このブログの記事は、自分で保存しておきます。
2021年3月をもって完全閉鎖いたします。どうもありがとうございました!!