fronteのブログ

リストラ離婚 中高年リーマンの半生

管理人 ― 小学校の忘れえぬ思い出1

「ささばら」

小学校の5年生の頃に出会った親友のあだ名である。もう40年近くも前の出来事なのに強烈に覚えている。あれは、小学校の校区が変更になって、私の通っていた小学校に、別の小学校の生徒が転入して来たことに始まる。初め会ったときの印象は、髪の毛が長く、女子か男子か分からなかった。当時、髪を長くしている男子はほとんどいなかったので、非常に強い違和感を覚えた。

青い粋な高価そうなジャケットを着ていた。しかも隣に並んでいたのは、黄色いキャップがボロボロで、旧日本兵を彷彿される大谷くん(仮名)だったので、そのコンストラストは鮮明であった。粋な都会っ子という印象を心の中でもって、私とは違うから距離を置いておこうというスタンスであった。しかも、オカマかもしれない。(今で言うところのゲイ、同一性障害)、ボロボロの日本兵大谷くんとカップルかもしれないとビックリしていた。ところが、ささばらから

「君、名前なんて言うの?」

と急に話しかけられて、面食らってしまった。

「さあね。」

ぶっきらぼうに私は返答した。すると、

「あ、さあね君だ!」

私は、その切り返しに一本取られたなと感心してしまった。それがささばらとの出会いである。その後、勉強ができてスポーツ万能のヒノマサ(あだ名)と、仲良し3人組になったのだから不思議なものである。その当時、ささばらとヒノマサは、ふたりとも11階建の集合住宅のマンションに住んでいた。そこは、私が小学4年生から通っていた進学塾があるところであった。

私とヒノマサは、小学校でも勉強ができて、読書感想文も全校生徒の前で朗読するようにと担任から言われるぐらいであった。ただ、ささばらは、そんなに勉強ができる方ではなく、クラスで中ぐらいだとの印象があった。ただ、高校受験に際して、中学2-3年生の頃から、私と同じ塾に通いだし、2番手の高校に受かったのには驚いた。私とヒノマサが良い影響を及ぼしたのかもしれない。

ヒノマサ、その当時校内暴力で荒れていて、学力も低かった「積木くずし」中学には行かず、引っ越しして、まともな公立中学に通っていた。親の配慮である。そして、難関大学への進学では高い実績を誇るの名門公立高校に入学した。私は、学区の違うその高校には行けなかったので、私の所属する学区の一番の進学校に入学した。文学界では有名人を輩出した高校であった。

中学、高校、大学と、ささばらやヒノマサとは疎遠になってしまったが、小学生時代の大親友であった。あの頃は、まだまだ若くて、友人の大切さなんか、これっぽっちも理解していなかったように思う。

 

やまちゃん(父親の友人)

まだ引っ越し前、小学校低学年の頃は、日曜日になると父親と父親の友達(会社の同僚)のやまちゃん家に遊びに行っていたのを覚えている。日曜日の朝は父が早く起きてくれて、いつも自家製のホットケーキを焼いてくれた。それを食べるのが本当に楽しみであった。母の料理は下手だったので、特においしく感じた。それから自宅でゆっくりしてから、やまちゃんの家に遊びに行くのである。父は無趣味であったから、そのような休日の過ごし方が一般的であった。

その当時の父は、年齢的には50歳ぐらいで、今思うと友達のやまちゃん自宅までよく遊びに行っていたなと感じる。その当時は、まだ人と人の繋がりが濃かったのであろう。父親は「しんちゃん」とあだ名で呼ばれていた。別に何するわけでもなく、やまちゃんの家に雑談しにいって、3-4時間ぐらいいるのである。

私は大人の話を聞いていて結構楽しかったような気がする。内容は全く覚えていない。夏は冷房のきいた部屋に入れてくれて、ジュースとか出してくれるのが有り難かった。

一度、小学校3年生の時に私の友達の同級生と二人で、父には全く言わずに山ちゃんの家に遊びに行ったことがある。冷房とジュースが目的であったが、「お父さんと一緒でないと駄目だよ。」と断られたのを覚えている。今では笑い話であるが、父や母からよくその話をされた。のどかな昭和40年代である。

 

父とやまちゃんは同じ頃に同じ会社に入社して、学歴もお互い高卒だったことから、親友でありライバルであったそうである。父が注文建築の住宅を購入したら、対抗してすぐにやまちゃんが新築を購入したとのこと。それは、裏の家で少し広くなった程度である。どちらの家にも私は行ったのだが、間取りは全く覚えていない。ただ、昔の家族ぐるみの付き合いが残っていた時代である。今は、職場の同僚どころか兄弟夫婦の家に行くことも全くと言ってない。アメリカやカナダではまだホームパーティとかあって家庭を垣間見ることができるのだが、日本ではそのような習慣はもうなくなったような気がする。

 

やまちゃんの奥さんはバツ一で再婚でやまちゃんと結婚したそうである。水商売で今でいうクラブに勤めていたそうである。その当時のやまちゃんの奥さんは、山ちゃん以外にも中小企業(お肉屋?)の社長さんから口説かれており、色々と迷ったそうであるが、大企業のサラリーマンのやまちゃんにしたそうである。社長さんだと金があるから浮気されるとか、中小企業だと安定していない、自分の分相応とか現実的なことを考えたそうである。

 

やまちゃんにも、それ以前に婚約者がいたそうである。その婚約者は不治の病で、結局若くして亡くなったそうである。不治の病で床に伏せている婚約者のいる病院に見舞いに行ったあとは、やりきれない想いで、お酒を飲まずにはいられなかったそうである。ドラマのような話が身近にあるので非常に驚いたのを覚えている。

やまちゃんの奥さんは、水商売にいたから綺麗だろうと想像するだろうが、全くそんなことはなく、よくこんな人が水商売できたなーという感じであった。はっきり言えば不細工である。無理な化粧をしすぎたのか、肌が汚くて化粧くずれしたみたいな顔であった。確かに性格的な明るさはあった。あと、ズケズケと言いたいことをいう性格であった。

赤ん坊の私をみて、

「鼻の高い赤ちゃんで端正な顔立ちやけど、こんな子は病弱で本当に苦労するよ。ざまあみろ!それに比べてわが子のこの可愛いさよ!」

と言ったそうである。母親が何回もこのことを愚痴っていた。結局、やまちゃんには二人の女の子ができた。長女は今でいう引きこもりで、ぬいぐるみ命で、今だに結婚していないと聞いている。次女は、かなり明るく社交的で確か結婚したと風のうわさで聞いた。その後のことはよく知らない。

というのは、やまちゃんが脳溢血になって寝たきりになった。おそらく私の父が亡くなってからであると思う。やまちゃんは短気な性格であるので、結構奥さんに八つ当たりしたのである。元水商売だった奥さんは、本領発揮で飲み屋で年下の男と知り合って、山ちゃんをおいて駆け落ちしたそうである。離婚に至ったと思うがその際購入していた家も売り払われたそうである。

やまちゃんは、奥さんにも逃げられ寝たきりで会話も十分できない状態で、失意のうちに亡くなったとのことである。やまちゃんの死ぬ前の晩年は不幸な生活であったろう。ただ奥さんもその後、金の切れ目が縁の切れ目で、家を売り払ったお金がなくなった時点で、年下の男と奥さんは別れたそうである。

「やっぱり水商売の女は最後まで水商売の女や。」

と私の母が言っていたことが強烈に脳裏に焼きついている。そのせいか、私は今まで女性が接待する飲み屋に行ったことがない。やまちゃんの不幸な最期がトラウマになって、水商売の女性は苦手になってしまった。

 

私が子供のころは、やまちゃんの家は幸せそうな家庭だと全く疑っていなかったのに、このようなドラマのような顛末があったのである。「人生一瞬先は闇」を身に染みて感じた出来事であった。