fronteのブログ

リストラ離婚 中高年リーマンの半生

中高年 リストラ離婚 - リストラで別れた旦那の想い

40歳の時に離婚した私が、離婚した旦那側の想いを、正直に書いてみました。自分自身を本当に振り返るのには、何年もの月日を要しました。

 

リストラ離婚してからの想いを書いたメモ

思い出すのも嫌な所があるのですが、一時期、つらい想いを吐き出すために書いたメモが出てきました。支離滅裂なメモですが、それだけ心が乱れていたのだと思います。

結婚維持の意志が無くなった なぜ離婚したかがいつも頭の片隅にあります。先日、はっとするコメントを映画から得ました。「結婚を維持するのは、愛情とは全く関係なく、維持しようという意志です。」この意志がなくなった時、結婚が維持できなくなり離婚にいたるのではないでしょうか? だから、私の友人の家庭などは夫婦の愛情は全くないのに結婚生活が維持されているのでしょう(彼らの場合は、結婚生活維持の理由が子供であると思います)。ある意味、羨ましくもあり、全く羨ましくもない複雑な状況です。究極には、私と元嫁には結婚維持の意志が無くなったのです。

 

孤族(こぞく) 一人で暮らし続ける人のことを孤族(こぞく)という新聞の社説をみました。誰も自分ひとりだけで生きていくのは本当に不安でわびしいものです。 やはり人間はだれかとのつながりを求めるものです。それが、私あるいは元嫁の再婚に向かわせる強い原動力となったのでしょう。現実は現実として受け止めて、それを今後の人生にどのようしてプラスに持っていくかを模索することが一番重要であると思っています。

 

「聞き上手」というサービス 「聞き上手」というサービス会社があるそうです。10分間1000円で話を聞いてくれるシステムで、非常に流行りだしているとのことでした。中には5時間以上も話す人もいて、話を聞いてもらった後は、スッキリとして晴れ晴れとした心境になって元気になれるそうです。 話しているうちに自分の考えが纏まること、自分を理解してくれる相手(見ず知らずの人でも)がいること、で気持ちが本当に軽くなるらしいのです。人は自分を理解してくれることを「渇望」していると書籍で読み非常に心に残っています。本当に本当に心から望んでいるのでしょう。 「自分を理解してほしい」というのは本当に本当に強い欲求なのです。ヒトは相手を理解するよりも、相手の話に返答しようとして聞いていて、相手を理解することに重点を置いていないのだそうです。この「聞き上手」というサービスは、相手を理解することにだけ重点を置いているので、非常に大きな需要に繋がったのことです。私も元嫁から離婚を言い渡された時に、このサービスを使いたいと強く思った記憶があります。

ブログ 私は、1)自分の気持ちを整理する意味と、2)自分自身を息子たちに理解してもらいたい、のこの2点で自分のことを書いています。この記述が少しでも、息子たちの人生の指針に何らかの影響を及ぼすことができれば望外の喜びです。 離婚をして、元嫁との二人の子供達と接する機会がほとんどなかったので、私の想いのようなものを書き記して、実の父に関して理解する手立てとしてくれれば本当に有難いと思っています。おそらく、二人の子供達が若いころは、この私のブログは退屈なものにみえるでしょう。なので、その時には無理して読む必要はないと思っています。ただ、今の私と同じ中高年になった時に読み返してみてほしいと感じます。色々と人生に関して迷う時期であるから、その時に、このブログに関して思うところがあるでしょう。何らかの人生のヒントになれば望外の喜びです。 私は、自分の父が何らかの自伝のようなものを残してくれれば有り難かったと思っています。実は、父親が九州の柳川に出張に行った際(私の知る限り父親の初めての出張でした。ずっと平社員であった父親が出張する機会はほとんどなかったからです。)、日記のようなものをつけていました。あくまでも日記だったので、何時にご飯を食べたとか、どこに行ったとかの羅列でした。読んでいて、私は父親がどのように考えていたのか知りたかったので、物足りなく感じたのを覚えています。 そのため、私は、自分の子供たちには自分の考えを書いた文章を残してあげようと思っています。この文章は、正確な記録的なものでなく、あくまでも私の記憶に基づいたものです。そのため、私の気持ちや思いを代弁しているものであると考えてくれて、読んでくれればと思っています。

 

今度は愛妻家今度は愛妻家」という映画をみました。なかなか考えさせる映画でした。あくまでも大人のファンタジー、日本版ゴーストといった感じではないでしょうか? 主演の豊川悦治も1997年に結婚して二人子供をもうけて2005年に離婚しています。子供2人は奥様が引き取ったとのことです。この点では私に類似しています。「結婚生活の維持に何が大切かを学べる」との副題があったのが印象的でした。   「7つの習慣」の、「自分が理解される前に、相手を理解するようする。」につきるのではないでしょうか?ただの理論だけではうまくいきません。現実は、埋没しそうな日常の中で、どれだけやっていけるかにかかっているのです。ヒトに言わせると「忍耐と我慢」だそうです。「適度な距離感と緊張感」が重要な気がします。

 

想いをつづった経緯 もともとこの文章を書こうと思いいたった経緯は、子供たちに何かを残せたらと思った点です。そのため一般への公開は絶対しないと思っています。個人情報満載であるからです。ヒトは確実に死にます。一日一日、死に近づいています。子供のころ、私は無限に生きていけるような感覚でいました。毎日、目標を立てることなく、日々を惰性で過ごしていたような気がします。 40歳前半になり、研究者から、サラリーマンとなり、離婚と再婚をしました。更に、母親の認知症がひどくなり、親戚のところに脱走したため、私の家の近くの24時間介護の老人ホームに入居させました。ひどい認知症で脱走したため、警察への捜査願いをだすという初めての経験もしました。   そのため、否が応でも自分を見つめなおすという機会を得たのです。その時何をしたかというと、大学時代の同窓会を開きました(→ちょうど同級生二人が母校の教授になったため)。高校時代の同窓会を主催しました。

 

 

リストラ離婚当時のメモから読み取れること

1)  離婚したことへの後悔 2)  会えなくなった二人の子供達への「すまない」との想い 3)  会えなくなった二人の子供達への自分の気持ちを伝えたいとの想い 4)  母親が老いていき、センチメンタルな気持ちになっている

今から読み返すと、できることなら離婚をしたくなかった別れた二人の子供達には申し訳ないという気持ちが、その当時の私の屈折した表現でつづられていることが手に取るようにわかりました。

あの当時、自分自身の人生に離婚は絶対に起こらないと信じて疑わなかったのに、離婚という結果になったことに、何ともやるせない気持ちになったことが、このメモから読み取れます。

 

離婚した私だから実感として思うのですが、やはり離婚は自分の人生に大きな大きな傷を残します。それと同時に、自分の人生を振り返ることにもなります。生まれてから死ぬまでの自分の人生に想いを巡らし、今後どのような人生を送るべきかと柄にもなく悩んだことが、昨日のことのように思い返されます。