中高年転職後 - 超優秀な10歳年下の後輩
サラリーマンの世界は、赤ちょうちんで愚痴をいうような世界で、嫌な上司ととんでもない部下という話はよく聞きます。私もサラリーマンをやるまでは、そんなものかなとあきらめムードでした。しかし、実際に入社して、何年か経つと、こいつには敵わないな!すごいな!という10歳も年下の後輩が出現したから、さあ大変です。
10歳も年下の同じ大学の同じ学部出身の超優秀な後輩
世の中は広いもので、自分よりも年下でも優秀な人は、たくさんいます。ただ、その彼が、私の大学の後輩だったからびっくりしました。例えば、東京大学だったら、青天井で優秀な人はいるかもしれませんが、私の出身大学はそんな大学ではないので、ある程度のレベルの人しかいないと信じて疑いませんでした。しかし、彼は例外でした。
一言でいうと、私が尊敬するF1界のレジェンド「アイルトン・セナ」のような奴でした!言い過ぎかな?
優秀な後輩に出会ったときの私の対応
A) 最初は驚きと事実を消化するのに、ためらいを感じました。私は、うぬぼれ屋なので、自分自身もそれなりに仕事ができると思っていたのですが、過去の運よく上げた業績にしがみついていただけではないかということを認識するようになりました。
B) 次に、彼に負けないように、先輩として頑張ろうと思っていた時期がありますが、それだと体がもたないのと、精神的にも追い込まれるので辞めました。彼は彼で、私は私だと、ある意味開き直って、私ができることを私なりにやっていこうと思うようになりました。
C) 最終的には、私も彼と同じグループになり、彼が私の上司のような役割を担うことになりました。最初は抵抗は感じましたが、優秀な人の指示を仰ぐことに関して、基本的に抵抗はないので、指示に従って非常に強力的に仕事するようになりました。
D) 優秀な後輩は、私にも協力的なので、私も結局、彼に協力して、良い関係を保てるようになりました。もちろん、彼は自分がやったことに対して、会社の上層部にアピールすることは堂々としていて、私に変な気遣いをしないので、一緒に仕事していて、全然嫌ではなかったです。
会社のその後輩への対応
1)年功序列の大手内資企業だったので、彼の優秀さの割には、出世の速度やプロジェクトでの権限が高かったわけではなかったです。それでも、彼の同期の中では、出世もプロジェクトの権限もトップグループにいたと思います。
2)グローバル化の波が押し寄せて、所属する部署の長が、英語しか話さないアメリカ人になりました。すると、彼の能力が認められ、すぐに課長に昇格しました。その後3年ぐらいで別の部署に部長として栄転していきました。別の部署の長も、アメリカ人になったので、実力主義で判断されたようです。
3)逆に、年功序列で実力もなく上がってきた人に対しては、降格処分をあからさまにして、その部署の仕事遂行能力を上げるようにしていました。これが、グローバル化の良い点です。ただ、降格された人達は、青天の霹靂で、恨みを持ったものがいたかもしれません。ただ、その優秀な後輩は、人間関係にも最新の注意を払い、うまいこと乗り切っていた記憶があります。
会社の彼への対応を知るにつれて、すごく良い会社だなと私は心底思いました。年功序列の悪癖がほぼ一掃される状況の中、彼に対して嫉妬する人や非協力的な人もいましたが、そんなのに惑わされず、相手にもせず、頑張っている彼の姿は、すごいなと尊敬していました。ただ、サラリーマン社会は嫌なもので、出る杭は打たれるので、逆風も結構あったのを私も見聞きしました。
超優秀な後輩の挫折とそれからの復活
彼は若手のころコツコツとプロジェクトを立ち上げて仕事をしていたのですが、年功序列の悪制度もあり、あまり評価されなかったことがあると噂で聞きました。それで、ふてくされるわけではなく、負けてたまるものかと仕事を続け、かつ周りとの協力関係も維持し続けて、projectを進めることに集中したようです。ここが彼の凄いところです。そのお陰もあって、事業所で一番期待されるプロジェクトとなり、表彰もされました。そのプロジェクトの仕事で博士号を取得しております。これも、彼の粘り強さの賜物だったと感じます。
そのライフワークとなるプロジェクトを続けるために、部署も移りました。さらに、プロジェクトを成功させるために、粉骨砕身で頑張っていました。しかし、会社の方針は非情なもので、プロジェクトの結果が予想(期待が非常に高かった)よりも悪かったのと方針転換により、最終的にはそのプロジェクトがお蔵入りになりました。
彼は、私にも直接言っていましたが、「プロジェクトの結果が中止するほど悪い訳ではなく、見守っていけば最終的には花開く可能性があったんだ。ではなぜ、自分のライフワークのプロジェクトが続けられなかったのか?それは、会社内で自分がディシジョンをお願いして説得する立場にいたからである。アメリカ人の上層部の人に、そんなにそのプロジェクトを続けたいのなら、君がディシジョンする立場になるしかないと言われたことを噛み締めた。」とのことでした。そこで、ディシジョンする立場になるためには、出世するしかないと嫌というほど認識することができたとのことでした。なので、昔は出世なんかしなくても、好きなプロジェクトを続けている方がいいと思っていました。しかし、そのプロジェクトを続けるためには、結局ディシジョンメーカー(決定権を持つ人)になるしかないので、出世するしかないのです。だから、貪欲に出世しようと思っていると私に言っていたことが昨日のように思い出されます。
プロジェクトチームが解散された後も、かれはそれなりの時間を割いて、昔のプロジェクト仲間とそのプロジェクトを続けていたのは、さすがだなと本当に脱帽しました。
サラリーマンとして生き抜くための教訓
私が事業所の中で尊大にならずに済んだのも、私をはるかに凌駕する優秀な後輩がいたお陰です。その後輩には、心の底から感謝しています。会社の中にも、すごい奴がいるものですね!!!
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